シェアする

保存する

Life Shift

2017.03.21

たとえがんでも、生き延びる可能性を上げられる——IT経営者のがんとの戦い方

30歳でIT企業を立ち上げ、第一線を走り続けていた高山知朗氏に突如襲い掛かってきた2度にわたる、がんという病。生き延びられる可能性はそう高くないという状況で、高山氏は独自の手法により見事に乗り越えた。いかにしてがんを乗り越えたのか、そこにはビジネスの現場で培われた情報戦略があった。

40歳、突然おとずれたがんの宣告

長野で生まれた高山知朗氏は、幼少のころから祖父の経営する会社の跡継ぎとして育てられた。親戚がみな事業をやっていたこともあり、自身もまたサラリーマンになることよりも、事業を立ち上げることが自然だと考えていた。大学卒業後、アクセンチュアに入社し、海外赴任を含めて4年間、コンサルティングスキルを学んでいく。その後、さらに実践的な経営を学ぶべく選んだ先は大企業から一転して、わずか15人ほどのベンチャー企業だった。

「いまでこそ大企業からベンチャーへの転職はよくあることですが、その頃はまだめずらしく、まわりからかなり引き止められましたね。アクセンチュア時代の取引先は大企業だったので、祖父の会社規模と近いベンチャー企業でよりリアルな経営の実地体験をしたいと考えました。転職先には3年間、経営の勉強をさせてください、と言って入社させてもらいました」

転職後しばらくして、海外製ソフトウェアを日本語版にローカライズ・販売する、新規事業の立ち上げ担当に任命される。一人で任された高山氏はコンサルティングのノウハウはあっても実務に関しての経験は乏しかった。何もわからないまま営業やマーケティング、さらには、もともとプログラミングと英語を得意としていたこともありローカライズ、技術サポートまで全ての業務を一人でこなしていく。日夜問わない過酷な仕事が続くも「社長業のシミュレーションと考えれば、つらいながらも楽しかったですね」と振り返る。

そうして3年の月日がたち、新規事業はこれまでの赤字から大幅な黒字を出す事業に育った。祖父の会社を引き継ぐ予定だったものの、この事業はさらなる成長が見込めたこともあり、会社は引き継がず新たに会社を立ち上げる決断をする。

「色々と悩んだのですが、自分で一から育ててきた事業でもあるので、マネジメント・バイアウトの形で事業部を買収して、現在の姿であるオーシャンブリッジとして独立する道を選びました」

30歳という若さで起業し、そこから10年間、最前線を走り続けてきた高山氏だったが、出張先のスイスの空港で突然、意識を失い倒れてしまう。

「診断の結果は悪性脳腫瘍、つまりがんでした」

生存率25%、そして2度目のがん

会社も成長を続け未来への展望が見えたさなか、一気に奈落の底に突き落とされた高山氏。さらに追い打ちをかけたのは5年後生きている可能性が25%であるという事実だった。

「愕然としました。ですがどうしても生きなければなりませんでした。会社のこともありますが、生まれたばかりの娘の成長を見ずに死ぬわけにはいかないと。結果、幸いにも手術は成功し、回復も早く2カ月で退院することができました。入院しているあいだも、会社は私が不在でもまわる状況になっていたので安心しました」

会社に復帰し、新たな事業を立ち上げようと動き始めていたころ、またもやがんが見つかってしまう。前回のがんから2年後の出来事だ。

「なんで2度も――。しかも転移ではなく新たながん、白血病でした。今回医者から言い渡されたのは、5年後の生存率が40%。前回のがんのときにもベストな治療を受けるべく、病院について調べ上げましたが、今回は自分でも治療方法を探していきました。40%の可能性を少しでも上げ、そしてその中に自分が入るために」

海外の論文をiPadで調べ、Evernoteに保存し、PDFリーダーで辞書を引きながら読み進めていく。さらには日々の体調や、薬を飲んだ記録、主治医からの治療に関する説明内容、看護師さんとの会話などもライフログとして全てiPhoneでEvernoteに記録し、都度見返しながら活用したことが入院生活で役立ったという。

国内外のあらゆる事例・治療法を収集し、自分にどの治療が最適か医学論文を見つけては一つひとつ主治医と議論を重ねた。海外製ソフトウェアを分析していくように、医学論文を咀嚼していき、ビジネスパートナーと会議を重ねるように、主治医と議論を交えてプロジェクトの達成=治癒を目指していく。これまでビジネスでやってきた手法をがんの治療法に取り入れていったところ、ある論文に糸口が見えた。

「主治医からは、リスクの高い骨髄移植をしても生存率60%、骨髄移植をせずに抗がん剤治療のみでは40%と言われていましたが、ある米国の論文に骨髄移植をせずに抗がん剤治療のみで60%〜70%というデータがありました。その差の理由はいくつか考えられますが、1つには退院後の維持療法に違いがあるように思いました。自分が入院していた病院では、患者の体への負担も考慮して退院後は維持療法は行わないことが通例ですが、この論文では再発予防のための維持療法として2年半の化学療法が実施されていました。そこに20〜30%の違いがあるのではないかと。先生と相談の結果、維持療法を受けることを快諾していただきました」

白血病の治療は脳腫瘍のときは違い、治療は長期間にわたり、抗がん剤による副作用も深刻なものだった。突然の激痛や、一日中続く倦怠感、腸閉塞。食べるどころか水さえも飲むことができず、体重は一時44kgまで落ちた。日夜痛みに耐えながら生きる壮絶な日々が7カ月続いた。

「一時はがんと戦うことを辞めようと思った時期もあるほど、副作用に悩まされました。治療の末、参考にした維持療法が功を奏したのかはわかりませんが、昨年の11月にようやく完治したといえる状態になりました。自分で治療法を探して、議論して、自分の選択を支持してくれた先生の協力があったからこその結果だと思います」

会社から離れ、第二の人生を歩む

退院後は体力回復のためにリハビリを開始。徐々に会社に復帰するようになったものの、病気になる前と同じパフォーマンスは発揮できず、会社へ迷惑をかけることも度々あった。白血病での入院中に社長職を後進に譲り、会長職に退いたものの、早く現場に復帰せねばと、体調のいいときには無理をして出社し、急に役員をつかまえて話を聞くようなこともあった。しかしあるとき役員から「体調が完全によくなってから戻ってきてください、それまでは私たちがなんとかしますから。無理をして中途半端に仕事に関わるのは、高山さんにとっても、我々にとってもよくないと思います」と提言され、会社との関わり方を見直すことに。

「ずっと葛藤がありました。入院中も退院後も仕事のことが気がかりで、早く仕事に復帰しなければという思いが強かったのですが、全盛のころの体力に戻ることはないなとも気づいていました。社長から会長になったものの、たまに会社に来ては現場を理解しないまま中途半端な指示を出して、社員から疎まれるような存在にはなりたくないと。そんな思いもあり、会社から完全に離れようと、この2月にノーチラス・テクノロジーズさんにM&Aで会社の株式を譲渡し、代表取締役会長からも退任しました。彼らは同じエンタープライズIT業界でありながらも強みやビジネスモデルが違うので、お互いの強みを掛け合わせてシナジーを出すことで新しい可能性を生み出せるのではないかと、オーシャンブリッジの未来を託すことにしました。本当は会社からは一切身を引くつもりだったんですが、M&A交渉の最終段階になって、ノーチラス・テクノロジーズさんから「オーシャンブリッジ創業者として、何かあったときに相談させて欲しい」、という依頼があったため、ファウンダーというかたちで、新しい経営チームに対するアドバイザー的な役割を引き受けることになりました。体力的にも無理のない範囲で」

会社を手放し、これから先に何をするのか。経済的な不安はなくなったとはいえ、これから何のために生きていくのか、将来への不安を抱えていた高山氏だったが、「働く必要がなければ働かなくていいよ」という妻の言葉を受け、これまでとは違う人生を歩むことを決意する。

「今45歳ですが、サラリーマン、起業、会社の譲渡、そして2度のがんと、私は人より20年先回りして生きてきたなと。20年後の65歳は会社員だと定年ですね。定年になり会社から離れて新しい生き方を模索するのと同じような状況に、自分は45歳にしてなったように感じています。なのでこれからは闘病を支えてくれた家族を第一に、あとは自分にしか出来ないことをやっていくことにしようと。ビジネスの世界には自分より才能や実力のある経営者は大勢いますから。私にしかないもの、それは2度にわたってがんを乗り越えてきた実体験です。経営者としてではなく、元がん患者としてがんとの向き合い方を発信していこうと、本の出版や啓蒙活動をやっていくことにしました」

もともと新しいもの好きで、兼ねてより社長ブログを綴っていた高山氏。がん発見後は次第に闘病ブログのようになり、既存の読者からの支持も集め、本の出版へとつながっていく。本が出版されると、そのがん闘病に対する高山氏ならではのアプローチ方法が、がん患者や医療関係者だけでなく、ビジネスパーソンからも多くの反響があったという。

病気などで職をなくしたとき、自分を見失わないためにも社会人のうちに何をしておくべきなのか尋ねると、「自分にしか提供できない強み、付加価値を獲得しておくことが大切」だと高山氏は話す。

「がんに特効薬がないように、これをやればすぐに仕事で成果が出るというものはありません。一番の近道は目の前の仕事をいかに自分に妥協せずにやれるかです。目の前の仕事を手を抜かずにやりながら、得意不得意、楽しい楽しくないを見極めていくことで、だんだんと自分の得意分野や武器が見えてくるはずです。正しいアプローチで努力を積み重ねる、当たり前のことではありますが、なかなか難しい。それができればどんな場面になったとしても、いい立ち回りができると思います。いつ大病にかかるかわかりません。いつかくるかもしれないその時のためにも、自分に嘘をつかずに、今を全力で生きて欲しいですね」


※取材後、ご本人から新たながんが見つかり、現在入院中との一報が届きました。一日も早くご全快されますよう、心よりお祈り申し上げます。

『治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ』/高山知朗(幻冬舎)
http://www.gentosha.co.jp/book/b10247.html


高山 知朗

1971年、長野県伊那市生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループにて各種コンサルティングプロジェクトに従事。その後Web関連ベンチャーを経て、2001年、株式会社オーシャンブリッジを設立し、代表取締役社長に就任。現在、同社ファウンダー。書籍に『治るという前提でがんになった 情報線でがんに克つ』(幻冬舎)がある。
『オーシャンブリッジ高山のブログ』でも情報発信を続ける。


TEXT & EDITING BY KEISUKE TAJIRI