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Life Shift

2017.02.07

「いま、ここ」を感じる―― マインドフルネスが心と身体をハックする日

アメリカを中心に、そして日本でも広がりをみせつつある「マインドフルネス」。一言でいうならば“瞑想”なわけだが、瞑想といえばスピリチュアルなものでビジネスに何の役に立つのかと眉をひそめる人も少なくないだろう。こと論理的にコードを組むエンジニアにとっても、“気持ち”がコードを最適化してくれるわけでも、バグを取ったりしてくれるわけでもないのだから。しかし、テクノロジーがめざましく進化し、あらゆるモノ・コトがハックされてきた世の中で、今必要とされるのは心と身体をハックするマインドフルネスなのかもしれない。

マインドフルネスとは正反対の世界にいた、一人のビジネスパーソン

アップル社創業者スティーブ・ジョブズが日本人の禅僧を師と仰いでいたことや、ポケモンGOで知られるナインティック社のジョン・ハンケ氏が京都での禅体験で大きなインスピレーションを受けたように、禅や瞑想がシリコンバレーのイノベーターたちに影響を与えていたことは有名な話である。そこから宗教色を取り除き、「マインドフルネス低減法」として昇華させたのがマサチューセッツ大学医学大学院教授ジョン・カバットジンである。彼はマインドフルネスを「特別な形で注意を払うこと。それは、意図的に、今の瞬間に、評価や判断とは無縁に、注意を払うことだ」とし、つまり「いま、ここに集中している状態」だと定義づけた。

そこから時代の波に乗りマインドフルネスはシリコンバレーのIT企業を中心に波及。グーグルに勤めていたチャディ・メン・タンがマインドフルネスをベースに、リーダーシップ・パフォーマンスの向上を目的としたプログラム、SIY(サーチ・インサイド・ユアセルフ)を確立したことで、一気にアメリカ全土へと広まっていった。

2007年にグーグルで生まれ、近頃になってようやく日本でも耳にする機会が増えてきた。その火付け役としてマインドフルネスやSIYを日本に持ち込んだのが、一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート(MiLI)代表理事の荻野淳也氏だ。彼はもともと外資系コンサルで働くビジネスパーソンで、禅や瞑想とは程遠い論理的思考をもつタイプの人物であった。ところがある出来事を境に大きく人生が転換することになる。

もともと超激務といわれる外資系コンサルに勤め、後に上場を目指すベンチャー企業にヘッドハンティングされ、上場を担当する部署へと転職する。ここでも昼夜問わず働き続けたことでミッションであった上場を果たし、若くしてビジネスパーソンとしての成功を掴みかけていたところ、荻野氏は自分を見失っていたことに気付く。

「2005年ごろ、当時はIPO(新規公開株)ブームもあって、事業内容よりも上場そのものが目的になっていました。上場という大きな目的を達成して燃え尽きてしまい、そのあとの仕事にまったく魅力を感じなかったんです。そんななかで20、30ものプロジェクトを抱えているものだから次第に回らなくなり、やる気も起きず、精神を病むようになっていきました」

業務多忙の中、寝られるのは毎日数時間。遅刻したら部門全体で掃除をするという罰則があり、部門のリーダーとして遅刻をするわけにはいかず、自宅の床で寝る日々が続く。「誰も幸せになれない最悪のシステムだった」と次第に強迫観念に苛まれ、鬱の状態になり自殺を考えるようにまで追い込まれることになったという。

「何度か、ベランダから身を投げている自分を想像しては、やめていました。いま過労自殺に注目が集まっていますが、自殺の道を選んでしまった方たちの気持ちがわかる気がします。過労が続き、さらに仕事が思うようにうまくいかなかったりすると、マイナスの感情が押し寄せ、精神状態が不安定になって正常な判断ができなくなります。そんな状況を簡単に変えられるのは、会社を辞めることではなく、その場から自分の存在を消してしまうこと。死にたかったわけではなく、ただ楽になりたかっただけなんです」

昨今の過労死問題を憂いながらも、もしあのとき声をかけてもらえなければ自分も――と、窮地に立たされた荻野氏を救ったのがヨガだった。2005年の9月、友人に誘われて何気なくヨガ教室に行ったところ世界が一変したという。

「たった60分のヨガと30分の瞑想です。終えたあと世界が違って見えました。頭はスッキリしていて、心がポジティブになっている。それがいわゆるマインドフルネスの状態なわけですが、当時はなんだこれはと。同時に、まわりにいる同じよう境遇の人たちに伝えていかなくてはならないという強いインスピレーションがありました。経営者をはじめトップを走り続けている人たちはずっと頭で考えています。仕事をしすぎている状態がデフォルトで、異常だということに気づけずに私のように鬱にかかるケースも少なくありません。マインドフルネスな状態をデフォルトにして、働くときは集中してガンガン働く、そしてその後はまたマインドフルネスに戻る。これを繰り返せるようになれば健全なかたちでパフォーマンスもあがり、心身ともに健康な状態で働けるようになるのではと感じました」

ほどなくして荻野氏は勤めていた会社を辞め、ヨガスタジオへと転職。さらに翌々年には企業のリーダーシップ研修を行う会社を立ち上げ、その一事業としてヨガや瞑想のプログラムをヨガインストラクターとともに企業に提供する活動も行なっていた。

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グーグルで出会ったマインドフルネスの進化系

スティーブ・ジョブズが禅にインスピレーションを得ていたことから、禅と経営に何らかの関係があるのではと考えていたころ、アメリカのグーグル本社でも瞑想をつかった研修を行っている人物がいるという噂を聞きつけ、すぐさま荻野氏はサンフランシスコへと飛んだ。そこでマインドフルネスをベースに、グーグル独自に発展させたSIYの概念と出会う。

SIYとは、心の知能指数「EQ」における5つの要素(自己認識・自己制御・モチベーション・共感・社会的スキル)に着目した「心と思考力」に科学的にアプローチしたリーダーシップを強化するプログラムで、その効果の高さからアメリカ全土で大きなムーブメントが起きていた。

「SIYの開発メンバーであるマーク・レサーさんに話を聞いて驚きました。今まで僕がやってきたことが科学的に検証され、高いレベルでビジネスの現場で活用されていたんです。日本由来の禅や東洋の瞑想が基本にあったことに嬉しさを感じた反面、先を越されたことへの悔しさもありました。けれどこのメソッドがあれば説得力をもって日本のビジネスパーソンに伝えていけるなと確信しました」

マーク氏に日本で初開催となるSIYの公開講座を行ってもらおうと、その場で翌年のアポイントを取りつけた。当時はまだ日本でマインドフルネスやSIYという言葉はほとんど認知されておらず、不安はかなりのものだったという。

「これまでは比較的関心度の高い、一部の人たちに向けて研修を行ってきましたがここで一気にその枠を広げていきました。ですが、瞑想に馴染みのない人たちに『ビジネスの現場を瞑想で変えていきます』なんて言ったら、とうとうヤバいヤツだと思われるだろうと感じていました。ですが自分の体験とグーグルの実績を信じて活動を続けていったところ、ようやく最近になってテレビや新聞などのメディアに取り上げられるようになり、芽が出てきたなと実感しています」

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世界に100人しかいない(日本では4人)、マインドフルネス・プログラム「SIY」の認定講師の証としてSIYLI(Search Inside Yourself Leadership Institute)から送られた“おりん”

5分でできる瞑想法

マインドフルネスは大きく3つに分けられる。医療現場で使われる領域、日本にも従来からある仏教の領域、ビジネスの現場で活かされる領域。荻野氏やグーグルが目的とするのはビジネスのフィールドで、健康な状態を維持しながらパフォーマンスを上げ、企業に勤めるビジネスパーソンや組織、社会を変えていくことを目指している。

「瞑想というと邪念を取り払い、無心を保つという認識かもしれませんが、ビジネスにおけるマインドフルネスは違います。『いま、ここ』に意識を集中させ、自分自身の内側の世界と外側の世界に対して“気付き”を得ることです」

掴みどころがわからない方のために、初歩的な瞑想法を教えていただいた。


1、リラックスした状態でイスや床に座り、背筋を伸ばす
2、眼を閉じ、肩を開き、肺に空気を入れていく意識でゆっくりと鼻呼吸を始める
3、身体から出入りする空気の機微を感じ取るように、呼吸に意識を集中させていく
※しばらく続けると意識が呼吸から外れ、環境音や別のことに意識がいくこともあるが、無理に戻す必要はない。大事なのは「今自分が何に意識を向いているのか気付くこと」である。
4、次第に呼吸に意識を戻していく


以上の行程を5分程度行う。

いかがだろうか。何かを感じられた人もいれば、そうでなかった人もいるだろう。荻野氏いわくマインドフルネスは筋トレやダイエットとも似ているという。

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「マインドフルネスは脳と心のトレーニングです。知識だけや短時間の実践で筋肉がついたり痩せたりすることがないように、マインドフルネスも日々続けることが大切です。わずかな時間でも続けていくと次第に脳が筋肉のように活性化され、物事に対する解像度があがっていきます」

実際に荻野氏にレクチャーを受けながらマインドフルネスを体験してみると、身体と脳に大きなギャップがあることに気付かされた。心や身体は穏やかなのに頭では常に思考が行われ、瞑想を終えても脳がぐるぐると動いているような感覚だ。これがマインドフルネスの状態なのだろうか。

「そうなんです。人は何もしていない状態でも常に脳を働かせている状態なので、何かをしているときはなおさら『いま、ここに』に集中できていないとわかるはずです。たとえば仕事中であれば、目の前の仕事をしながら午後のプレゼン資料が間に合うかどうか心配していたり、スマホやSNSをのぞいてみたり、週末の予定を考えたりと。何もしていなくても『いま、ここ』に集中することが難しいのに、仕事ではさらにパフォーマンスがさがり、結果的にストレスとして蓄積されていきます」

過去から脱却し、働き方を見直す時代へと

日本の平均寿命が100歳の時代になるとリンダ・グラットン氏が提言しているように、荻野氏もまた120歳まで生きることを前提に生活を送っている。

「このままいくと日本の年金制度は崩壊し、死ぬ間際まで働く必要が出てくるでしょう。これまではより多く働くことが美徳とされてきました。実際にそれに応じて、出世もできたし年収もあがってきた。50、60代のバブル世代は当時の成功体験を知っているから、今の若い世代にもその根性論を押し付けようとしますが、彼らは寝る時間と精神を削ってまで出世することに意義を見いだせなくなってきています。とはいえ若者たちに会社の構造を変えることはできず、違和感を覚えながら無理して働いている状況です。そうして心と身体が分離していき、社会問題としてあらわれている状態が今の社会なんです。このままではいずれ滅びてしまいます。何を成功とするのか、人生はどうあるべきか今一度考えなければならない時代に突入しています」

世界では戦争や貧困など、いまだに解決できていない問題が多く起こっている。それでも人類は生き延びなければならない。それを個人レベルに落としたときも同様に、給与や職場環境、人間関係、すべてが理想通りになっている人は少ないだろう。「何らかの不満な悩みを抱えていながらも生きていかなければなりません。それを少しでもよりよい方向に、モチベートしていくための手助けとなるのがマインドフルネスです」

「大事なのは問い続けることです。マインドフルネスは『いま、ここ』の解像度をあげるトレーニングです。あらゆる価値観が内的、外的要因で変わっていきますが、自分や社会にとって何がベターなのか自分なりに模索し、問い続けることで、今の状況がはっきりと見通せるようになるはずです。そうすれば次に自分が何をすべきか、その一歩が踏み出せるはずですから」


荻野 淳也

一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート代表理事。グーグルで生まれた脳科学とマインドフルネスの能力開発メソッド「SEARCH INSIDE YOURSELF」の認定講師であり、日本でSIYプログラムを初めて開催。リーダーシップ開発、組織開発の分野で、上場企業からベンチャー企業までを対象に、コンサルティング、エグゼクティブコーチングに従事。外資系コンサルティング会社勤務後、スタートアップ企業のIPO担当や取締役を経て、現職。マインドフルネスメソッドやホールシステムアプローチ、ストーリーテリングなどの手法を用い、組織リーダーの変容を支援し、会社や社会の変革を図っている。関連書籍に、『世界のトップエリートが実践する集中力の鍛え方 ハーバード、グーグル、Facebookが取りくむマインドフルネス入門』(共著、日本能率協会マネジメントセンター)『サーチ・インサイド・ユアセルフ』(監訳、英治出版)、『マインドフル・リーダー 心が覚醒するトップ企業の習慣』(監訳、SBクリエイティブ)、『スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジック』(解説、プレジデント社)、『たった一呼吸から幸せになるマインドフルネス〜JOY ON DEMAND(ジョイオンデマンド)』(監訳、NHK出版)など。


PHOTO BY TOSHIHARU TODA
EDITING BY KEISUKE TAJIRI