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Life Shift

2017.02.03

自然環境下でのリモートワークは心の健康を保つ? 長野県で実証実験がスタート

リモートワークは都合の良い場所で働けるなどの物理的メリットが注目されることが多い反面、従業員のメンタルヘルスや生産性向上についてのエビデンスが目に見えにくいといわれている。このような現状を受け、1月から、自然豊かな環境でのリモートワークがストレスマネジメントに及ぼす影響を検証する実証実験がスタートする。特定非営利活動法人「Nature Service」共同代表理事の赤堀哲也氏に、この実験の概要と目的について話を伺った。

ビジネスパーソンのうつ病リスクを軽減するために

今回の実証実験は、エンジニアや企画・開発といった業務に携わるビジネスパーソンを対象に、都内のオフィスで仕事する場合とリモートワーク、しかも自然豊かな場所で仕事する場合とでストレスや生産性・創造性などにどのような相違が生まれるのかを比較実験する目的で行われる。自然環境という条件の実験を行う舞台は長野県信濃町。同町に対し「信濃町の地域自然資源」を活用したこの実験の基本構想を提案したところ、地方創生の取り組みの一部として公募され、採択に至ったという。ではなぜ「この実験をやりたい」と思ったのか。その動機を赤堀氏に尋ねた。

「私は15年前にWeb制作会社を起業しました。現在ではシステム開発、映像制作、デジタルマーケティングなど、企画からコンサルティングまで幅広い業務を取り扱うフルサービス型の制作会社となりました。会社が成長していくなかで、従業員がうつ病になるという出来事があったんです。うつ病って本人はもちろん、家族も同僚も会社もみんなに影響が及ぶんですよ。しかも、指導していた部下までもが『自分の力が足りなかったせいで』と責任を感じて連鎖的にうつになったり…。会社全体がネガティブな雰囲気で覆われていくんです。だから企業のメンタルヘルス対策に何か役立てることをやりたいとずっと考えていたので、このプロジェクトはいいチャンスだと思い、提案させていただきました」

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脳波測定器を自身で装着してデモを行う赤堀氏

確かに、自然に囲まれた環境は、無機質なオフィス環境に身を置くよりずっと心の健康には良さそうだ。ごく当たり前のことのようでもあるが、なぜそこに実証実験の必然性を感じたのだろうか。

「私自身、多忙だったり睡眠不足だったり、いわば『うつの要因』だらけの生活を送りながらも元気で仕事していて。それはなぜなのかと社員に問われ、考えたところ、トレッキングやカヤックといった自然体験で週末にリフレッシュできているからだと思い当たったんです。ちょうどその頃、長野県信濃町の『癒しの森』事業(保養型観光地を目指して同町が実践している各種プログラム)と出会い、モニターツアーに参加させていただいたことでも大きな気づきを得ることができました。また、自分は撮影などで出張が多く、国内外でノマドワーカーのように仕事をしていました。そんな生活を通じて、いつしか旅をしながらでも、どこででも当たり前のように仕事をするようになり、そのノウハウを在宅勤務やリモートワークという形で自分が経営する会社にも取り入れました。最近では2016年8月に厚生労働省が発表した『働き方の未来2035』の中でも、自然環境下で働くことのメリットがうたわれています。個人的な実感と社会的な背景から、同じ仕事をするのでも、自然環境下で行う方がストレスを軽減できる、それならそんな働き方を企業が取り入れても良いのではないかと思ったわけです」

Nature Serviceはメンタルヘルス対策として自然体験プログラムを導入しないかと、いくつもの企業に提案してきたという。しかし、それはなかなか実現しなかった。

「『自然体験が心の健康を保つのにメリットがあるということは感覚的にわかるが、エビデンスがないと予算がつけられない、企業として取り組むことができない』と言われ続けてきたのです。そこで今回の実験で得られた結果を、自然体験やリモートワークを企業が実践する裏付けとして使ってもらおうと考えたんです。また、今回の長野県信濃町のような自治体の企業誘致促進にも活用し、信濃町がリモートワークの先進地域となっていくように積極的に支援していきます。将来、世界中の森林などの自然資源が働く人たちのうつ病リスクを軽減するひとつの方法になればと思います」

IT技術の進化が、実験を現実のものにした

平成27年には厚生労働省がストレスチェック制度を制定し、従業員のストレス対策が企業の責任であることが明確に定められた。さらに昨年起こった様々な事件により、その重要性が一層問われている。そんな中、自然環境下でのリモートワークに明確なエビデンスが付与されることで導入する企業が増えれば、新しい働き方の可能性も広がっていくだろう。そして今回の実験のもうひとつの新しさは、IoTデバイスを活用したデータ取得の方法と、定量的・定性的の両側面からのデータ分析にある。

「まずデータ取得についてですが、今回の実験にはオーストラリアのエモーティブ・システムズ社が出している、ヘッドセット形のブレインスキャナーを使います。加速度センサーを含む計15個のセンサーとで構成され、バッテリー駆動をしながら無線で情報を飛ばす軽くてシンプルな構造。どこまでの深さをスキャンするかにもよりますが、いままでは有線で、外に持ち出すことが不可能な大きな機材だったのが、技術の進化によってデバイスが簡略化された。その結果、今回のようなフィールド実験が可能になったということです。例えばこれを着けて30分ほど脳の状態をスキャニングするとテキストデータで200MB程度のRAWデータが取れます。そのデータをクラウド上に構築された脳波分析環境にアップロードし、詳細な分析を実践していきます。また、簡易的なものではありますがアプリケーションを使えばiPhoneでもリアルタイムで状況が見られ実験データはサーバーに送られていきます。これは開発キットなので、どのように活用するかは私たちのプログラム次第。世界の研究では、念じてドローンやロボットアームをコントロールできたり、車椅子を操作したり、車の自動運転に応用する実験なども行われています。今後は、このプロジェクトを応用してニューロマーケティングにも使えるんじゃないかと考えています」

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今回の実験に用いられるブレインスキャナー。無線で使用でき、軽く、装着しても違和感が少ない

「また今回のプロジェクトチームに参加する医学者によると、リアルタイムで脳の状況を視覚化できるので、これはバイオフィードバックの考え方ですが、脳がどのような状態になると自分がリラックスしているのか、ストレスがたまっているのかを視覚的に認識し、セルフメディケーションとしても使えると考えています。自分がリラックスしている状態をモニタリングできるので、ストレスフルだから帰ろうとか、働き方のコントロールにも活用できます。デバイスも今よりもっと軽くなって手軽に使えるようになるので、ゆくゆくは日常的にメガネを装着するような感覚で利用できるようになるはずです。また、自分の心をどう整えるかという、トレーニングプログラムの開発にも使えるでしょう。リーダーシップがあるタイプとか、ひとりで集中することに高い適性があるのでプログラマーに向いているとか、ディスカッションが必要な企画職が向いているとか、適性開発に応用する可能性も検討しています」

「気合いとか気持ちとかではなく脳の反応を見る。これを科学的に分析した情報を提供すれば、企業が導入するきっかけになる。それがビジネスパーソンのメンタルヘルスリスクを軽減することにつながればと思っています。1月から3月の間に行う実験はリハーサルや準備だと考えていて、現段階では、ゴールを2019年3月に設定しています。できる限りたくさんのデータを集計して、より正確な結果を導き出すことを目指しています」

データ分析については、より深い検証結果を得るために、定性的なデータも同様に重視するという。

「定量的なデータについては、脳波に加えて脈波も測定します。脈波は脳波と相関があり、また、腕時計のような機器を使って簡単に取れるので、長期的な変化を分析することもできるんです。さらにチャレンジングな点としては、データを複合的に検証するために、脳波や脈波といった定量的なデータに加えて、アンケートなどを用いた定性的なデータ分析も行ってエビデンスを提示します。都会で働いている時と、郊外での自然体験を経た上で、働いている時との差を比較するわけですが、都会でも郊外でも仕事をしてもらい、行動条件を一致させて比較します」

このプロジェクトは、産官学共同で進んでいく。今後は医療のプロフェッショナルチームもジョインするそうだ。

「ビッグデータ解析のためのシステム開発と情報加工は、私が経営するマーキュリープロジェクトオフィス社の技術者が担当します。4月からは北里大学のチームが本格的に実験に合流予定ですので、大学にデータを提供して考察してもらいます。地方自治体には場所も施設も、豊富な自然資源もあるので、それを最大限に活用出来るアイデアを提案し、NPOが取りまとめながら産官学共同で社会に良いことに取り組むプロジェクトです。Nature Serviceはプロジェクト全体のデザインやマネジメントと運用を行い、マーキュリープロジェクトオフィス社がテクノロジーを提供します。Nature Serviceのメンバーは、人脈をつなげながら多様なスキルを組み合わせて新しい価値を作る。人やいろんなものをくっつけて新しいものを作る。Nature Serviceは社会を良くするためのイノベーターになれるよう、『新結合』ということを大切にしています」

自然体験の素晴らしさを体験してもらいたくて

そもそもIT業界に身を置いていた赤堀氏がNPOを立ち上げたのも、周囲から「自然環境に身を置いてリフレッシュしたいけれどハードルが高い」という声が上がったことがだった。

「人にアウトドアの楽しさやリフレッシュ効果を話すと、みんな機会がない、道具がない、やり方がわからない、仲間がいないと言うんです。そこで、無理なく負荷なく負担なく自然体験をする機会を作ろうじゃないかと思い、2013年にこのNPOを作ったんです。自然体験をすることで心が健康になるという科学的な論文もある。ストレスフルな仕事をしている人たちにこそ、自然体験を通じてメンタルヘルスを保ってもらえたら、ということがモチベーションだったんですね。そして長野県信濃町にある、「やすらぎの森オートキャンプ場」という閉鎖されていたキャンプ場の運営を任せてもらったんです。東京ドーム1.8個分の広さに手つかずの森や草原があるような、とても素晴らしい場所。ここにキャンプ道具のレンタルを充実させるなど工夫したところ、アウトドア未経験のファミリーなど多くの観光客が訪れるようになって。この実績を評価した信濃町が『何かもっとキャンプ場を活用できることはないか?』と情報交換の機会をくれたことが今回の実験につながったんです」

そもそも、自身は幼少期からアウトドアの素晴らしさに触れていたのだという。

「子供の頃から、父の影響でよくキャンプに行っていました。『友達の家に泊まりに行きたい』と言っても許してもらえないのに、『友達とキャンプに行く』と言うとどうぞどうぞと言われるという変な家庭で(笑)。アウトドア好きな人って、山を歩いている時はメールをチェックしなかったりしますよね? でも自分は連絡取れなくて仕事が膠着するのが嫌というタイプなんです。キャンプ場にも光ファイバーを通していて、そこにいるときでも仕事してます。完全に趣味としてのアウトドアだけではなく、自然環境下の仕事場と捉えているというか、『ノマドワーカホリック』なんですよね(笑)」

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赤堀氏(左)と、脳波プロジェクトディレクターの馬締俊佑氏


赤堀 哲也(あかほり・てつや)

特定非営利活動法人 Nature Service 共同代表理事。経営学修士、森林セラピスト。マーキュリープロジェクトオフィス株式会社 代表取締役。Nature Serviceでは組織経営、インターネット告知活動、映像制作などを担う。南極から北極まで旅をしながらカヤック、キャンプ、トレッキング、バックパッカーが得意分野。


PHOTO BY TOSHITAKA HORIBA
EDITING AND TEXT BY MIYOKO SANO