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Life Shift

2017.01.12

「幸福学」ってなんだ? IT企業も取り入れる、幸せになるための「4つの因子」とは

過重労働や過労死、ブラック企業などの暗然たる言葉が社会を飛び交うなか、24時間営業を取りやめる飲食店や深夜残業禁止など、労働時間の見直しが進みつつある。しかしながら、過労死として認定されるひとつの目安ともいわれる月80時間の残業を大幅に超えている者の誰もが必ずしも不幸に感じていたかというとそうではないだろう。その違いには個々人がもつ“幸福度”が関係しているという。幸福とは一体何なのか、その答えを探るべく、幸福について科学的アプローチで解明・研究を進め、「幸福学」と名付けた人物に話を伺った。

人が幸せと感じる4つの因子

「ダイエットをするためには栄養や運動の知識が必要ですよね。幸せになるためにも知識を入れてあげればいいんです」と語るのは、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)委員長、前野隆司氏である。

幸せになるために必要なものはなんだろうか。富、権力、地位、名誉――幸せの感じ方は人それぞれであり客観的に判断できないように思えるが、これまで心理学者らがおこなってきた文系的な研究手法だけではなく、科学的アプローチを取り入れることで定量的に幸福度が測れるようになってきたという。

もともと前野氏はロボット工学を専門とし、触覚や心地よさの研究を通じて工学と心理学の融合を試みていた。「脳波や笑顔、視線、声の明るさなどの計測技術とアンケート調査を組み合わせれば幸福度を評価できるのでは」と考えたという。近年の研究では、幸せだと感じている人間の脳をMRIにかけると左脳前頭葉が活発になっていることがわかっている。「実は瞑想中も左脳前頭葉が激しく活動しているんです。最近瞑想が流行っていますが、幸福度をあげるための方法としては合理的といえるでしょう」

通常、幸福を専門とする心理学者は、幸せと感謝、幸せと年収、幸せと教育といったように、1つのテーマに絞り深く研究する。前野氏はそれぞれが独立した状態でしか研究されていないことに気づき、多変量解析の手法を用いてさまざまな研究と幸せとの関係を束ね、体系化していったことで、幸せが“4つの因子”から成り立っていることを導き出した。以下の4つが幸せの因子である。

1:「自己実現と成長」(やってみよう)
2:「つながりと感謝」(ありがとう)
3:「前向きと楽観」(なんとかなる)
4:「独立とマイペース」(あなたらしく)

この4つをバランス良く保つことで幸福度を高めることができるという。そんなこともよりも、何よりもお金を持つことが幸せだとの考えもあるだろう。「その考え方は改めたほうがいいでしょう。お金やモノ、地位などの『地位財』で感じる幸せは長続きしないという研究結果が出ています。もし、お金で幸せを感じるならば、年収が上がり続けなくてはなりません」と前野氏は話す。

「たとえば、母子家庭同士が生活するペアレンティングホームという取り組みがあります。一緒に住むことによって子どもを預け合うことができ、そのつながりが感謝の気持ちを生みます。信頼感が新しいことに挑戦できる余裕も生み出しますので、自分らしく生きていけるようになります。母子家庭は収入が少なくなりがちですが、4つの因子を満たす工夫をすると収入レベルを上げずとも幸せを感じることができることの良い事例です」

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人間は変化がないと不幸せになる

日本人は先進国のなかでも幸福度が低いという調査結果がある。その理由のひとつに、日本人には心の安らぎに関与するセロトニンが出にくく、先天的に悲観しやすい性質を持つことが知られているが、ちょっとしたことで改善できるという。「たとえば、今日あったいいことを書き出してみる、ごろごろ寝ていないで街に出てみるといった、ともするとくだらないと思うようなことでも実践すると脳は幸せだと感じるんです」と前野氏。

選択した仕事が自分にあっているか悩んでいる人に向けた、前野氏の研究室の学生が考案した、“アソビジョンクエスト”というワークショップがある。幼いときの興味が今の仕事とつながっていることを導き出すもので、たとえば「会計の仕事がつらいと思っていたけど、小さいときはおはじき遊びが好きだった」という場合。抽象度をあげてみると、「数を数える」という点ではどちらも同じといえる。

「いくつかの研究でわかったことですが、7歳から10歳のころにわくわくしたこと、辛かったことが今の自分に大きく影響しているようです。忘れていたとしても、です。そこを原点に今を見直し、関係ない仕事に就いている場合は業種や勤め先を見直すこともいいですが、そうでない場合は業務内容そのものがつらいわけではなく、人間関係によるところが大きかったりするんです。上司や同僚といい信頼関係が構築できれば、今の仕事に対する考え方も変わってくるでしょう」

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管理を信頼におきかえると組織は強くなる

前野氏の活動は基礎研究だけに留まらない。「基礎研究の理学に対して、産業として広く発展させた工学というものがありますが、心理学に対して心理工学というものは存在しません。いわば、文系学問のなかにはテクノロジーとして世に出ていないものが少なくない」と指摘する。現在、幸福学を社会に役立てるために20ほどのプロジェクトを進めているが、なかでも「幸せの経営学」と名付けた企業経営への応用に注力しているという。ある事例では、グループ企業のなかで社員のモチベーションと帰属意識が最下位だった会社の順位が、ワークショップ実施後半年で中間まで一気に上がったという。

「ちょっとしたことです。社員同士で仕事や人生の目標を言い合ったり、会社の強みを挙げてみたりと、楽しく簡単なワークショップをしました。会社や部署の雰囲気がよくない理由の1つにあげられるのがコミュニケーション不足です。たとえば嫌な上司と小学校の思い出話とかしないじゃないですか。でも、ワークショップで会話しているうちに、実は趣味が一緒だったとわかると急に人間関係が良くなったりするんです。最初はしぶしぶ参加していたのが次第に積極的に取り組むようになって、会社としての雰囲気がよくなっていきました。硬直した人間関係とか職場のマンネリを打破するにはこの方法がいいですね」

さらに社員の幸福度を上げるためには、「いかに管理を信頼におきかえるか」が重要だと語る。部下を「報・連・相」で管理するよりも、部下を信頼して任せたぞ、と言うことでパフォーマンスの向上が期待される。大規模なシステムを扱う企業などでは権限委譲が困難なケースもあるが、業務のやりがいを見直したり改善を評価したりと、小さな喜びを積み重ねていくことで幸福度を向上させることができるという。「まずは管理職など上司とされる人に取り入れてほしいですね。部下が優秀な会社は必ず上司も優秀なわけで、そのためにはまずは上司から変わらないといけませんから」

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近頃、前野氏は大手IT企業の上層部に講義をすることが多くなってきた。仕事内容だけでなく、人間関係や職場環境の充実が社員の幸福度に影響し、結果として社員のパフォーマンスや創造性に影響していると会社も気づき始めたそうだ。「日本は鬱や自殺で数パーセントGDPが下がっているといわれていますが、それぞれの企業が、ひいては日本全体が幸せになればイノベーションも起きるし、この閉塞感を打開する活力が出てくるはずです」

超高齢社会の日本において、前野氏はこの問題に対しても悲観することなく前向きに取り組んでいる。「人口は減り、さらに高齢化が進んでいきますが、幸せ度の高い高齢者は精力的に地域活動や仕事に従事します。私の描く理想は、日本に幸せの教育が行き届き、幸せで活力に満ちあふれた超高齢社会になることです。世界のお手本となり海外から人々が学びに来るような、そんな社会をみんなとともに作りたいと願っています」


前野 隆司

1984年東京工業大学工学部機械工学科卒業、1986年東京工業大学理工学研究科機械工学専攻修士課程修了、キヤノン株式会社、カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員、ハーバード大学訪問教授、慶應義塾大学理工学部教授等を経て、2008年よりSDM研究科教授。2011年4月SDM研究科委員長に就任。著書に『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』(講談社現代新書)、『脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説』(筑摩書房)など。


TEXT BY TOSHIHARU TODA
PHOTOGRAPH BY MAIKO KOBAYASHI
EDITING BY KEISUKE TAJIRI