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Life Shift

2016.09.27

3万円のキーボード『Happy Hacking Keyboard』はなぜ売れる?PFUが考えるファンとの関係性の築きかた

コアなファンを中心に人気を博す高級キーボード『Happy Hacking Keyboard(以下・HHKB)』。キーボードはパソコンに付属するものと考えると非常に高い価格設定ながら、開発者や文筆家などといったプロフェッショナルに愛されている。このHHKBをうみ出した株式会社PFU(以下・PFU)は、本を裁断してスキャンする”自炊”でも知られるスキャナ『ScanSnap』なども手がける。 HHKBをはじめとした同社の特徴的な製品は、果たしてどのように生みだされたのか。そして、何故コアなファンに刺さるのか。HHKBの開発に携わったシニアスタッフの田口尚登氏と、マーケティングを担当するプロジェクトマネージャーの山口篤氏に話を伺った。

3万円のキーボードが評価される3つの要素

今から20年前、1996年に発売されたHHKB。同製品の開発は、UNIXの開発者でもあり東京大学名誉教授の和田英一氏がPFUの社内報に寄稿した、キーボードに関する”ある論文”がきっかけだったと、田口氏は当時を振り返った。

「当時、和田教授が利用されるようなワークステーションとよばれるコンピュータは、製品ごとにキーボードの配列が異なっており、コンピュータを買い替えると、打ち慣れた配列も変わってしまうといった状況でした。和田教授はその状況に非常に不満をもたれており、配列を固定したキーボードの必要性を記した論文を寄稿いただきました。そこからの和田教授の意見を取り入れながら作ったのが、初代のHHKBです。開発にあたって重視したのは、配列が不変で長く使えるキーボードということでした。

開発時、和田教授はキーボードをカウボーイにとっての『馬の鞍(くら)』に例えてこんな話をされていました。

『アメリカ西部のカウボーイたちは、馬が死ぬと馬はそこに残していくが、どんなに砂漠を歩こうとも、鞍は自分で担いで往く。馬は消耗品であり、鞍は自分の体に馴染んだインタフェースだからだ。』

開発者にとってのキーボードはまさにそういったものなのです」

当時はまだインターネットも普及期で、コンピュータを所有している人の数は決して多くなかった。そのなか発売された初代HHKBの売り出し価格は33,000円。この値付けの背景には、コアな製品故の理由があったと田口氏は語る。

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下:初代HHKB、上:現行『Professional2 Type-S』 。”固定配列”、”打ちやすさ”、”コンパクトさ”の3つの要素を大事にしているため、見た目はほぼ変わらない。

「これがその33,000円のキーボードです。正直、当初は儲けるつもりはありませんでした。ただ、当時は、HHKBのようなこだわりをもったキーボードが当たるか否か懐疑的だったこともあり、広告宣伝費をかけて3万のキーボードを売り込むのも難しい。ですから少量生産で高いですが、それでもよければお買い求めくださいというスタンスで、どれだけの需要があるか、テストマーケティング的な意味合いもありました」

当初は口コミを中心として、和田教授まわりの開発者やPFUとつながりのある研究所を中心に広げ、UNIX系のシンポジウムへの出展などを通して地道に認知を広げていったHHKB。結果的には、開発者を中心に評価され、コアな分野で一定のファンをつかんでいったという。

発売から20年経ち、パソコンをひとり1台持つのが当たり前になるなど、キーボードを取り巻く状況は大幅に変化した。個人の開発者も増え、作家や物書きといった人々も含め、こだわりを持った道具(キーボード)を用いて仕事をするというニーズも増えていく。そのなかでHHKBにとっての一番の変化は、2003年に発売された『Professional』の開発時だった。

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「技術面での一番の挑戦は『Professional』の開発時でした。それまでのHHKBは、メンブレン方式という安価な反面、メンブレンシートの厚さで感触が変わってくるため、品質を保つために苦労を要していました。そこから『Professional』を作るにあたって、静電容量無接点方式という新しい方式を採用しました。メンブレン方式の場合、押し込んで接点同士が当たることで通電するのですが、静電容量無接点方式は押し込まなくとも少しの圧力で通電するため、長時間使用しても疲れないという特徴を持っています。また接点が摩耗しないため、耐久性にも優れています。静電容量無接点方式を採用することで、HHKBで大事にしている”打ちやすさ”が向上し、より多くのお客様に選んでいただけるようになりました」と田口氏は語った。

現在のラインナップは、初代Professionalの後継機である『Professional2』と、静音性を高めた『Type-S』、Bluetoothを搭載した『Professional BT』に加え、メンブレン方式の普及版『Lite2』の計4種類からなる。ただ、どの製品においても”固定配列”、”打ちやすさ”、”コンパクトさ”の3つの要素はしっかりと守り続けている。

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手前:『Professional Type-S』奥:『Professional BT』

ファンとの関係性作りがコアな分野で戦うPFU最大の強み

同社を代表する製品はHHKBだけではない。冒頭でも触れたドキュメントスキャナ『ScanSnap』や、iPhoneのカメラを使った卓上スキャナ『SnapLite』やアルバムスキャナ『Omoidori』、業務用スキャナ『fiシリーズ』などスキャナ分野を中心にさまざまな製品を展開している。その中でも特筆すべきは『ScanSnap』だろう。自炊ユーザーというコアな層をはじめとした、さまざまなドキュメントスキャンの分野で好評を博す同製品は、全国主要家電量販店などの販売データを集計したBCNランキングで6年連続スキャナ部門1位を獲得し続けている。

ScanSnapが一躍有名となったのは、アップルのタブレットデバイス『iPad』の発売に大きく起因していると山口氏は当時を振り返った。

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「ScanSnapシリーズ自体は15年前から販売しているのですが、iPadが発売され自炊ブームが巻き起こったことで潮目は大きく変化しました。売上面でも大きく成長しましたし、ドキュメントスキャナそのものの認知も広がりましたね。ScanSnapの大きな特徴は、一般的なスキャナと異なり誰でも使える簡単操作を重視した点です。ビジネス文章では写真などで用いられるような高い解像度は必要ありません。ですから読み込み速度と、自動であること、そしてなによりもスキャンからPDF化までの一連の動作を”ボタン1つでできる簡単さ”を重視して開発しました。そういった手軽さがScanSnapの強みであり、お客様から評価されるポイントでもあります」

ScanSnapは15年、HHKBは20年と、長く愛される製品を擁するPFU。製品自体の質やコンセプトが優れているといった点は根底にありながら、同社の製品がユーザーに愛される一番の要因は、口コミを中心としたユーザーとの強い関係性にある。大量生産大量消費のものであれば、安い・性能がいいといったスペック面で判断されることが多いが、PFUの作るようなコアなニーズにこたえる製品の場合、ユーザーからの信頼も重要な要素になっているのではないだろうかと山口氏は考える。

「たとえばスキャナを買おうと考えてWebで口コミを調べたときに、ScanSnapを勧めてくれるユーザーの方がいらっしゃると思います。そういった方々とよい関係性を築けてきたことが当社の強みなのだと思います。今でこそ当たり前になったFacebookやTwitterといったSNSもいち早く取り入れ、ユーザーの方々とコミュニケーションをとり、悪い意見も良い意見も吸い上げて真摯に対応を繰り返してきました。

今年4月にHHKBのBluetooth版を発売した際にも、発表と同時にTwitterを中心にしてすごい勢いで広がっていきました。好きな方・コアな方からは『待っていた!』という反応をいただけましたし、もちろんこうして欲しかった、ああして欲しかったというご意見もいただきました。大きな会社などではキャンペーンやCMで大々的に宣伝することもありますが、我々はそこまでアグレッシブな広告はうてません。ですから口コミの力とお客様との関係作りを重視しているのです」

コアなユーザーからの高い信頼感を顕著にあらわしているのがHHKBとScanSnapの販売台数だ。普及機があるにも関わらず、両製品とも一番高価なフラッグシップ機が一番売れているという。これは、使い込んだコアユーザーが感じる高性能なフラッグシップ機の強みを、口コミという形で広く伝播された結果といえるのではないだろうか。ネット上のレビューをみてみると『Lite2買うならProfessional』『S1300買うならiX500』『どうせ買い替えるよ』といった意見を目にするように、コアユーザーの意見が集まった結果がこの数字にあらわれている。

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制度とファンが支えるPFUの挑戦的な製品たち

コアなファンを有することは製品のラインナップ上にも大きな影響を及ぼしている。その代表的な製品がキートップに一切の文字がない”無刻印”のHHKBだろう。この無刻印モデルは2003年のProfessional登場と共に当初は限定生産という形でスタートした。100台限定で発売を開始したものの、発売開始2時間で完売。あわててレギュラー化したという。これぞまさにコアなファンを抱えていることを表しているといえる。

「考えてみれば、タッチタイピングであれば画面しか見ませんし、HHKBの場合配列も固定されていますから刻印がなくても構わないんです。Professionalシリーズの2割は無刻印が売れているほど現在では定番の製品となっています。HHKBの場合、コアなお客様がいることで、社長や経営陣を含め社内的にも高い信用があります。ですから無刻印モデルのように変わり種の企画を出した際にも自由度を持ってやらせてもらえます。こういった挑戦的な製品を作れるのも、すべては愛用していただいているお客様のおかげです」と田口氏。

PFUが挑戦的な製品をうみ出せるのはもう1つ大きな理由がある。それは同社独自の『Rising−V活動』という社内制度だ。社員のアイデアに基づいた製品の試作を支援する制度で、同社の業務や技術に関係していれば基本的にどんな提案でも受け入れられるという。受け付けられた提案には500万円の予算がつく。同社はこの活動のために年間数億円の予算を用意しているという。

このRising−V活動は2002年にスタートしたが、現在までにも非常に意欲的な製品が生まれてきている。例えば、現在ScanSnapのラインナップで普及機として位置づけられるS1300。本機の前身となったS300というモデルも、Rising−V活動から生まれている。手軽に持ち運べるScanSnapというアイデアからこの製品は生まれ、同製品がオフィスだけでなく一般家庭に普及する足がかりをつくった製品となった。

また、Rising−V活動から生まれた変わり種の代表格が、漆塗りの『HHKB Professional HG JAPAN』だ。PFUの本社がある石川県を代表する輪島塗の技法で仕上げたキートップが、ヘアライン加工を施した無垢のアルミシャーシに並んでいる超特別仕様だ。

「この漆塗りもRising−V活動から生まれたもので、受注生産で50万円です(笑)。これも遊び心半分で作ったのですが実際に何台かは売れましたね。ご祝儀購入というのもありましたが、漆器は英語でJapanと呼ばれるというのもあり、意外と外国の方にも興味をいただきました。普通では社内でゴーが出ないような変わり種を考え、ファンの方々に喜んでもらえる製品を作れるのは、Rising−V活動の本当のメリットかも知れません。コアなファンの方々に喜んでもらう、良い関係でい続けるのはPFUにとって非常に大事なことですから」

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左:実際に発売された漆塗りのHHKB、右:試作品

HHKBの場合は”固定配列”、”打ちやすさ”、”コンパクトさ”。ScanSnapの場合は”ボタン1つでできる簡単さ”といったように、開発の段階において重視するコンセプトが非常に優れているPFUの製品群。Rising−V活動のように、社内の多様な人材が考えるアイデアを具現化する機会を設けることは、次なるHHKBやScanSnapをうみだす可能性を大いに高めているだろう。

そして実際に販売する段階においては、ユーザーとの良好な関係性を築き、コアなユーザーからの発信やアイデア・意見といったものを、製品のブラッシュアップや認知の拡大において積極的に活かしている。SNS時代には当たり前となった、ファンとの深い関係性の構築という点においては、さまざまな分野においてPFUから見習うべき要素はたくさんあるだろう。

開発から認知拡大にいたるまで、ユーザーが本当に求める製品を作り出し上手く広げるエコシステムをPFUは有している。同社が次にうみだす製品を楽しみにしたい。


田口尚登

入社以来、ワークステーション、UNIXサーバーなどのハードウェア開発に携わり、HHKBは2000年から企画・開発を担当。現在はメーカー直販のWebサイト「PFUダイレクト」の運営を担当。


山口篤

HHKBやパーソナルドキュメントスキャナ「ScanSnap」のマーケティングを中心にエバンジェリストとして普及と認知拡大に従事。またHHKBやScanSnapに加え、2016年6月に発売したiPhoneアルバムスキャナ「Omoidori」などを販売するメーカー直販のWebサイト「PFUダイレクト」の運営も担当し、普及から販売までを手がけている。


PHOTOGRAPH BY KAZUYA SASAKA
TEXT BY KAZUYUKI KOYAMA