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Life Shift

2016.09.07

読者の声を聴き続けた40年 老舗マイコン専門雑誌が歩む道

「月刊I/O」をご存じだろうか。日本初のマイクロコンピューター(通称・マイコン)専門雑誌として1976年に創刊し、記念すべき第1号は3,000部が即日完売した、という伝説を持つ。その「月刊I/O」が今年めでたく創刊40周年を迎えるのだ。ひとつの雑誌を40年続けるというのは「素晴らしい」の一言に尽きる。しかも「ネットでいいじゃん」と思われてしまうようなテーマやコンテンツで、インターネットが完全普及した2000年以降も変わらず雑誌として走り続けてきた。その秘訣は何なのか? 「月刊I/O」の40年の変遷を振り返りながら、その答えを4代目現編集長・藤井創に聞いた。

自由がそこにはあった

―「月刊I/O」と藤井さんとの出会いを教えてください。

藤井(以下F) アメリカの大学でITを学び、卒業後に帰国してコンピュータの知識を活かせる職業はないかと就職活動をしていました。しかし、そもそも帰国が6月だったので、就職活動がすでに終わっていて。それでも何かないかなと求人誌を読んでいたときに、たまたまこの会社が募集していたので応募しました。編集は前から興味がありましたが、全くの未経験で入社ということに。

―コンピュータに興味を持ち始めたのはいつですか?

F 中学生のころです。私の叔父が富士通の創業メンバーのひとりで、当時その叔父の家に行くとFM-7があったんですよ。それで遊んでいたのが1番最初のコンピュータの体験だったかと思います。

―「月刊I/O」編集部に入ったときの印象はどうでした?

F 皆いい加減だなって。自由な感じだからそういった印象を受けたのかな。あとは、やはり専門的な分野なので、オタクっぽい人もいましたし多種多様な人が揃っていましたね。当時は、第1、第2、第3編集部があり、「月刊I/O」は全編集部で作っていて私は第3編集部に配属。

―体育会的な上下関係はありました?

F 全然なかったですよ。上司も優しかったですし。でも私が入った3カ月後に辞めてしまいました。当時は所属していた第3編集部には私と上司の2人しかいなかった。上司がいなくなったので、右も左もわからないような自分が、第3編集部でやっていたことをすべて担当することになって「どうしよう…」みたいな。でも、やらなければいけない。わからないのはしようがないので、創業者である社長に「ここどうしたらいいですか」「写真、これでいいですか?」など直接聞いて。それに対して「ダメだ!」とか言ってもらって。その社長とのやりとりがあったおかげで「月刊I/O」の根底に流れるスピリットというものが自分の血肉となったと思います。

―編集長になったのは2006年くらいですか?

F そうですね。

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投稿は何よりも大事

―その「月刊I/O」の創刊からのスピリットみたいなものは何ですか?

F 当初は「ホビーエレクトロ情報誌」というのを目指していたので、「どう読者が楽しめるのか」ということ。それは、創刊から今も一緒。元々「月刊I/O」は投稿誌だったので、やはり投稿が何よりも大事です。それがないと雑誌が成り立たない。そういう意味では、読者に寄り添い、読者が送ってきたものをできるだけとりあげよう、という方針がありました。電気街探訪録の「I/Oマップ」やITについてのちょっとしたつぶやき「I/Oプラザ」は創刊からずっとある読者からの投稿を集約した企画ですが、うちの雑誌を表す最たるものというか。

―今も投稿の手段というのは、読者ハガキですか?

F 「I/Oマップ」や「I/Oプラザ」は読者ハガキが中心で、取り上げてほしい企画に関してはメールで受け付けています。

―月に何通くらい来るのですか?

F 数十通くらいはくると思います。一時期は入りきらないくらいたくさんあって、「月刊I/O」名物の「床下」という、ページの一番下にちょっとしたスペースを作って、「I/Oマップ」や「I/Oプラザ」に入りきらないのは「床下」に入れる。

―あれ? 「床下」というのは一般の出版用語ですか?

F 違いますか?

―初めて聞きました…。

F 私たちは、普通に「床下」って呼んでいますね。

―とにかく、読者と寄り添うということが、創刊からのポリシーなのですね。それ以外に編集方針はあったりしますか?

F 面白いモノがあれば実際に使ってきちんと記事を書く。読者が驚くことを書く。あとは好奇心を大事に。自分でもやってみたらできるのではないかな、というのを狙っています。

―昔の企画で好きなものはありますか?

F 「T-Chanの英語教室」は、私が入社してからずっと担当していますので思い入れがあります。

―この英語を学ぶ企画は、筆者は今と違いますが、初期の時代には「工業英語講座」といった企画名で昔から続いていますよね?

F 最初はコンピュータ用語を取り上げたのですね。アメリカのネタが多かったので、日本人には馴染みがなかったんですよ。ずっとやっているうちに、パソコン以外のこともやっていこうということになって。これは賛否両論あって「まだやっているの」みたいな言われ方もします。あれはあれで、筆者本人が書き続ける限りはやりたいと思っています。

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伝統と伝説、いま継ぐもの

―創刊当時、何気に「たべっ子どうぶつ」の人がイラストを書いたのもびっくりしました。豪華です。

F はらJINさんが書いてくれましたね。

―昔は、編集部員が色々なペンネームを使って原稿を書いていたと伺ったのですが。

F 最初のころはそうだと思います。

―チャッタレス・奥山さんというのは、意外と社長なんじゃないか、という予想です。

F それについては、私はよく知りませんのでコメントは控えさせていただきます……。

―……。2カラムというか、レイアウトも創刊から基本的に変わっていないですね。

F はい。

―伝統の2カラム。何か意識されているのですか?

F 2カラムになっているのは、やっぱり読みやすさ。創刊40年も経つと当然昔から読んでいただいている人を含め読者の年齢層も上がってきますので。

―テクニカルな話が多いので、あまり細かいと疲れてしまいますしね。

F そうですね。プログラミングだったりいわゆるアークテクチャとかの表現も英語だったり、数式も入るので縦表現ができない。あとは、コラムっぽいところは3カラムにして、技術的な解説などは2カラムにしています。

―人物の写真が少ないですよね。

F そこはあえてそうしています。例えば、発表会などで人が話している感じがあるじゃないですか。読者が知りたいのは「人物じゃないよね」ということ。どういう発表があったのか、何を解説しているのか、というのが重要です。むしろそこがポイントで、実際に知りたいところからぶれてしまう。人柄とかに話題がずれていってしまいます。

―目次の作り方も面白いですよね。ページ順ではなくカテゴリ分けされているというか。

F ここも昔から変わりません。1回変えたのですが、元に戻しました。

―斬新ですよね。

F ハードやソフトとか色々な要素が入っているので、読者それぞれ興味を持つところが違います。なるべくそこをピンポイントで見られるようにはしていて。全部を読んでもらえるのは、それはそれで嬉しいですが、やっぱり記事が多いので全部読み切るのは大変だと思います。だから興味があるところを中心に読んでもらえるのがいいのかなと思っています。

―雑誌だけどウェブっぽいですよね。

F 1カ月で読めるものを目指す、というものではないですよね。1カ月で捨てられてしまうというものでもなくて、うちの雑誌は集めている人が非常に多くて。昨日も偶然会ったのですけど「私、創刊号から全部持っています」というレアな人がいました。

―それにしても、月刊というのがすごいですよ。今、一番ご自身が力を入れているコラムなどはありますか?

F プログラミングの記事が好きなのですが、最近少なくなりました。昔は、ダンプリストをガッと載せていた時代もありましたし。

―拝見しました。本当に意味がよくわからないです。

F 当時読者は、それを打ち込んでいたみたいですよ。

―誌面にするっていうのが面白いですよ。

F 昔はそういうものが逆に雑誌にしかなかった。それを打ち込んで少ししか動かなくても面白かったんですよね。

―これを原稿として入稿するのがすごいなと。

F 切り貼りじゃないかな。

―打ち込んだら誤植の可能性もありますよね。校閲が大変。

F ありますよ、たまに。読者に「動かないじゃないですか!」とクレームが編集部に入ったり。

―それは大問題ですね。一個違うだけで動かないですよね?

F 「すみません、それは間違いでした」って。結構読者が見つけてきます。本当にちゃんと打っているんだって。

―基本、配色がビビットですよね。これは何ですか?

F ソノシートですね。当時の付録。それを流して録音してデータに変えたらしいですよね。今の人たちには想像つかないですよね。

―名古屋の電気街のマップもあって面白いですね。東京、大阪ではなくなぜか名古屋。

F この「I/Oマップ」を目当てに買う人が多かった。昔は秋葉原のことを載せている雑誌がほとんどなかったみたいで、とにかくまとまった情報がない。だから「この地図を頼りに秋葉原行きました」みたいな。地方の人たちに多かったようです。インターネットもGPSもなかった時代でしたので、どこに何があるかわからなかった時代ですものね。

―なるほど。だから今、地図はわかるので、どこで何を買ったか、見つけたというのが分かる企画内容になっているのですね。

F これも読者投稿なので。本当にありがたいです。

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新時代突入

―特集はどうやって決めていますか?

F 基本はコンピュータ技術誌なので、そこから外れないもの。それ以外は、やっぱり読者が知りたいところはどこなのか、ということと、なるべくその技術情報をうまくまとめる。例えば人工知能を扱っても「こんなに人工知能は危ないんですよ」とか「こんなに便利になりますよ」ではなくて、人工知能がどういうところに使われていて、ハードはどういうものが使われていて、ソフト的なアルゴリズムはどういうものが使われているかみたいに。

―ご自身の情報収集はどうやっていますか?

F 人と会っています。そこから「こういう情報あったらいいよね」とか「ここ知ることができるといいよね」とか意見をもらって。そういうのを聞いて考えます。

―意外とアナログ。どういう人と会うのですか?

F 千差万別で、プログラマーや電子工作やっている人、ライターさんも多いですよ。

―今の「月刊I/O」のライターさんは、何歳くらいですか?

F 上は50代から下は20代まで。

―ライターの高齢化は、業界の悩みですよね。10代はいらっしゃいますか?

F さすがにいないですね。ただ投稿で10代はいますね。

―時代にともなって、情報の出し方やコンテンツの考え方とか創業から変わりましたか?

F 昔はインターネットがなかったから、投稿誌として成り立っていました。インターネットが登場すると「別にネットでいいじゃん」とインターネットで発表してしまいます。雑誌に載せることにあまりメリットを見いだせなくなってきたのですね。昔は、雑誌に載ることが一つのステータスだったのですが、今はそう考える人も少なくなりました。そうすると、投稿誌よりも情報誌によらなければいけなくなってしまって。でも情報誌によっても、読者の本、というのは意識して作っています。あとは、スマートフォンが出てきて、やっぱりパソコンを自作する人が少なくなってきた。

伝えるメディアとしては、2013年から「I/O WEB版」を始めて、雑誌を購読した人のみが閲覧できるコンテンツを配信しています。ちなみに「I/O WEB版」の立ち上げには、いくつか紆余曲折はありました。あくまでもメインは雑誌なので、雑誌を読んだ人しか読めないWEB版にすること。これは最初、他のサイトのようにオープンにして、全員が読めるようにするか、ということと随分悩みました。宣伝という意味ではそのほうが良かったかもしれませんが、それだと雑誌の読者にメリットがないので、そこの狭間で揺れましたね。もうひとつは過去の記事を有料化するということ。これは雑誌はいらないけど記事だけ読みたい、という人向けで有料にしています。これも先ほどと同じで、雑誌を買っていれば記事はタダで読める、と言うスタンスを作りたかったためです。それと、WEB版を作った最大の理由は、「音」や「映像」といった誌面では伝えにくいものが増えたのがいちばん大きな原因でしょうね。昔はその画面を誌面に載せて、皆が想像しながら読めたのですが、インターネットが普及して、想像ではなく直接見たいという人が増えたわけです。それだけ、皆に想像する時間的余裕が無くなった、ということでしょうか。そういうふうに情報の発信源は変わってきていますが、基本的には雑誌に再び皆を戻そうとしています。

―表紙のタイトルに副題でついている「自作派のためのコンピュータ技術情報誌」というタグラインを作ったのはいつごろですか?

F 2003年からですね。このあたりはころころ変わって怪しいのがたくさんありますね。私は自作が得意だったので、自作派にしましたね。

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「月刊I/O」は歩みを止めない

-「月刊I/O」の魅力は何ですか?

F やっぱり読者の声がダイレクトに届くというのは面白い。取材に行くと「読んでいました」「昔、投稿していました」という人が結構いるので励みになります。

―次の10年で半世紀ですね。

F 私はさすがにもう編集長ではない気がしますけど(笑)。本当はもっと若い人に読んでもらいたい。やっぱり若い人の投稿記事もほしいし、そういうのがあるとすごく嬉しいです。そこにどうアピールするか、というのも課題です。アピールし過ぎてしまうと、昔の人も離れてしまう。

―表紙の萌えキャラも結構な決断だったんじゃないかなと勝手に思っています。

F 若い人にも振り向いてもらおうと思って。

―ですよね。そして、表紙の写真は、季節感の演出。撮りおろしですか?

F その時々です。

―藤井さんにとってのテクノロジーは何ですか?

F やっぱり最終的には、テクノロジーで誰かを幸せにしなければ意味がない。幸せといっても、ただ生活を豊かにするということもあるでしょうし、ちょっと遊んでみたいな、作ってみたいな、という欲求に対しての幸せもある。作って楽しいとか、やってみたらできたというのはすごく大事だと思っています。「テクノロジーを発展させると危険だよ」という考え方もありますが、それでテクノロジーが止まってしまうともったいない気がします。

―これからの野望はありますか?

F まずは500号があるので、そこまでは、と思っています。

―今何号ですか?

F 478号なので、あと2年弱ですね。「『月刊I/O』はなぜ続くのですか?」とよく聞かれることがあって。それは、たぶん40年続けてきたからですよね。ずっと続けてこようと思っていたからであって、そういう意思がないと続けられなかったと思います。よく雑誌が休刊したときに、儲からなくなったからとかその雑誌としての役割が終わったからと言われますが、役割が終わったというのは、私たちが決めるのではなくて、読んでいる側が決めること。どこまで出し続けられるのか、という気力の問題と思いますね。それが続く限り自分は「月刊I/O」を出し続けていきたい。たとえ読者がたった一人になったとしても。

「月刊I/O」のレイアウトをご紹介

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結構真面目な英語講座。はらJIN先生のイラストがいいアクセントに。

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初期のころの「I/Oマップ」。この地図が当時の読者の貴重な情報源。

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ストレートな広告メッセージ。「アイデア買います」は雑誌広告として衝撃。

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噂のチャッタレス・奥山

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絶対に誤植はできない編集者の切迫感が伝わってくる。

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1977年の表紙。ここでも はらJIN先生のイラストが映える。

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2004年4月号に創刊号の別冊付録がついた。

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創刊号の表4では、「仲間になりませんか」とソーシャルネットワーク。

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これが噂のライフ・ゲームのプログラムリストを搭載したソノシートの付録。

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英語の企画の進化系。この号のテーマはトランスジェンダー。

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2016年8月号。まずは試しに投稿してみてはいかが?


藤井 創

1976 年生まれ。アメリカの大学卒業後、2000年に工学社に入社。2004年第3 I/O編集部を経て、2006年から現職である「月刊I/O」4代目編集長に。


PHOTO BY YOICHI ONODA
TEXT & EDITING BY SHUNYA HORII