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Life Shift

2016.07.14

腸の健康がトップアスリートの成績も左右する?!「腸内フローラ」の網羅的解析

岡山大学大学院教授の森田英利氏は、生物の腸内に生息する細菌叢、いわゆる「腸内フローラ」と生体との関係を明らかにしようとしている。
研究が進むにつれ、「腸内フローラ」は人間の健康や心理、運動のパフォーマンスにも大きな影響を与えることがわかってきた。研究の成果を社会に活かすため、昨年10月に立ち上がった腸内フローラの解析をビジネスとするベンチャー企業「AuB(オーブ)」に、元サッカー日本代表選手の鈴木啓太氏とともに参画した。腸内フローラの解析の先に、どんな未来を見据えているのだろうか。

「日本一の競走馬の牧場」が効果を認めた腸の健康を改善する馬用のサプリメント

北海道にある日本を代表する競走馬の生産牧場、ノーザンファーム。牧場で育った競走馬が、1年間に獲得した賞金総額のランキング、つまり「生産者リーディング」において、この5年連続で日本一に輝く、世界屈指の牧場である。

そのノーザンファームで生産されるすべての馬は、12年前から森田氏が開発した乳酸菌を含む馬用のサプリメントを生後早い時期に食べている。
「もともとは、仔馬の下痢を防ぐために何か良い製剤はないか、とノーザンファームの獣医師さんから相談を受けたことがきっかけでした。仔馬は下痢をしやすいのですが、お腹を壊すと体重が増えず、筋肉や骨の成長が遅れます。ダービーに出走できる馬齢は決まっているため、その日までにいかに健康に体を成長させるかが、とても大切なんです」

森田氏は、競走能力が高く健康な馬の糞から乳酸菌を分離、それを培養してこのサプリメントを開発した。「同じ乳酸菌でも、人と馬の腸内にいる菌は違います。人には人の乳酸菌、というコマーシャルがありましたが、その生き物が持っている乳酸菌がもっともその生き物にとって有益であることはわかっていたので、それをもじって、『馬には馬の、乳酸菌』というコンセプトで開発しました」

すると飲ませ始めてから、仔馬の下痢になる頻度が減少し、下痢を起こしてもその期間が短くなった。病気になる馬の数も減ったことで、牧場全体の馬の成長に貢献したと思われる。
「人間の腸に対してヤクルトのシロタ株のようなプロバイオティクス(生きた微生物が腸内環境を改善し生体に良い影響を与えるという考え方)が働くことは実証されていましたから、良い乳酸菌であれば馬にもきっと効果があるに違いないとは思っていました」

以来、ノーザンファームでは毎年、サプリメントを全頭に与えるようになった。大きなレースの前やハードな練習の日々が続くと馬にもストレスが溜まり、反抗的になったり元気を失ったりするそうだが、このサプリメントを与えるようになってからは、ストレスが明らかに減った様子が見られると調教師も評価しているという。

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最新のDNAシーケンサーが可能にした腸内フローラの「網羅的解明」

こうした馬のサプリメントの開発のもととなったのが、森田氏の主要研究テーマである、人や動物の「腸内フローラ」の“網羅的な解明”だ。「網羅的解明」とはつまり、「ビフィズス菌」「大腸菌」といったような、ある特定の菌やその働きのみに研究対象を絞るのではなく、数百種類、60兆個以上もいるといわれる腸内細菌全体の働きを明らかにするという意味だ。
「10年ほど前までは、特定の菌種(きんしゅ)をターゲットにしないと排泄物から腸内細菌を検出することはできませんでした。ところがヒトゲノム解析の終わった2003年以降、次世代DNAシーケンサーと呼ばれるDNA配列を決定する装置の性能が飛躍的に向上したことにより、すべての細菌がごちゃまぜの状態でも、各菌種の遺伝子のDNA配列を読み込んで、腸内フローラ全体がどのような細菌の組成になっているか、解析できるようになったのです。それにより腸内フローラ研究は、この10年間にものすごいスピードで進化を続けています」

これまで漠然と「悪玉菌」「善玉菌」と呼ばれていた腸内細菌も、厳密な解析ができるようになったことで、その区分けに異変が起きているという。
「バクテロイデスやクロストリジウムといった、これまで“属レベル”では悪玉と思われていた菌の中にも、より細かい“菌種レベル・菌株レベル”に分類すると、人間の免疫系構築や、抗炎症作用、肥満の抑制といった良い効果を人体に与えていることがわかってきました」

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病気になると腸内フローラを構成する菌種が減る

森田氏らは、健康な人と病気の人では、腸内フローラにどのような違いが起こっているのか、多くの共同研究者と詳細な解析を行ってきた。
「その結果、病気になると、健康な人と比べて腸内フローラを構成する菌種数が明白に減少することがわかりました。これは体調の変化や日常生活(食事内容など)の不摂生が原因で、その腸内フローラが変化し、今度は、その変化した腸内フローラが生体に良くない影響を与えているのではないかと考えられるのです」

また腸内フローラは、食事の内容や頻度のほかに、精神的なストレスでも大きく変わる。「暴飲暴食などの無理が重なって、腸内フローラのホメオスタシス(恒常性)が維持できなくなったときに、消化器系の病気にかかりやすくなるんです。ほかにも腸内フローラが、遅延型食物アレルギーへ関与しているのではないかと示唆する医師もいます」。一旦、腸内フローラの状態が悪くなっても、食生活を改め、ビフィズス菌を増やすなど腸内環境を改善できるオリゴ糖や食物繊維を多めにとることで、良好な状態に戻すことは可能だ。

さらに腸内フローラは体調だけでなく、精神状態にも大きな影響を与えている。
「神経伝達物質の一種で、心を落ち着けるリラックス効果があり、サプリメントで人気の『GABA』も、腸内細菌によって腸の中でもつくられている物質です。他にも腸では『幸福ホルモン』の異名を持つセロトニンと腸内フローラの関係が証明されています。腸の健康は、心身の健康にも直結するんです」

トップアスリートのパフォーマンスも腸内フローラの状態が影響する

研究を通じて、スポーツの世界で活躍するトップアスリートと、いわゆる「ふつうの人」でも、腸内細菌の比率が大きく違うこともわかった。
「私たちは、トップアスリートの人を『超健康な人の象徴』と考えています。健康でなければ、スポーツで人より圧倒的な成果を出すことはできませんからね。彼らの腸内フローラを調べたところ、菌種数が多く、平均すると一般人の1.2〜1.5倍ぐらいの菌種が見つかることがわかってきました」

この研究成果をより社会に役立てようと、2015年10月に設立された腸内フローラの解析をサービスとするベンチャー企業「AuB(オーブ)」に、森田氏は参画した。代表取締役には、Jリーグの浦和レッズで活躍し日本代表選手にも選ばれた鈴木啓太氏が名を連ねる。
「鈴木さんも現役時代に、お腹の調子の良し悪しが、試合のパフォーマンスに大きな影響を与えると感じていたそうです。しかし当時は、自分の腸の状態を詳しく調べる方法がありませんでした。それが僕たちの解析技術によって、誰でも自分の腸内細菌の状態を調べられるようになったと知って、『ぜひこれから活躍するアスリートの後輩たちに、広めていきたい』と言ってくれたんです」

現在、研究対象とするアスリートは、陸上の短・長距離、サッカー選手がメインだが、今後はラグビーや水泳、野球、バレーボールなど、他のスポーツにも対象を広げていきたいと森田氏は語る。瞬発力や持久力など、それぞれのスポーツ・種目ごとに最適な筋肉は違うが、同様に腸内フローラにも種目ごとに適正な状態があるのか、研究を進めていく予定だ。
「将来的には、種目ごとに、食事の取り方やその内容のアドバイスを行っていきたいとも思っています。運動による心と体への刺激も、確実に腸内フローラに影響を与えます。トレーニング期間中の腸内環境を解析することで、『もう少しハードなトレーニングをしても大丈夫』とか、『少し休んで回復にあてたほうがいい』といったアドバイスもできるようにしたいですね」

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ベンチャー企業「AuB」が実現を目指す 誰でも気軽に健康状態を把握できる未来

「AuB」としては、まずは、アスリートに特化したサービスを開発している。しかし、アスリートへより良いサービスを提供しようとすれば、一般人のデータとの比較、というものも重要になる。アスリートだけでなく、森田氏は働き盛りのビジネスマンにこそ、「自分の腸内フローラを一度見てみませんかと勧めたい」と言う。「実際に検査の依頼や相談もされるし、一般の方を解析する重要性も高いので、当面は提携会社のウンログ株式会社を通じて受けたいと考えています。また、AuBとしてのクオリティの高い解析は、現状3万円くらいが相場と思われますが、今後ユーザー数が増えれば安くなるのは必然でしょう」。

今年4~5月には試験的に、ウンログ株式会社がクラウドファンディングサイトの「Ready For」を使って、腸内の解析を希望するモニターの募集を呼びかけた。するとまたたく間に300人の希望者から、目標金額の150万円を大きく超える400万円以上もの支援金が寄せられた。「それだけ腸の健康に関心がある人が多いということだと実感しました。彼らから寄せられた一部のサンプルの解析をすると、すごく健康で理想的な腸内フローラの人もいれば、『この人、大丈夫かな?』と心配になるような人もいました。そういう方には『食生活に気をつけてくださいね』とコメントをつけて返すようにします。病気になってしまってからでは遅いですからね」

とくに理想的な腸内フローラの持ち主は、「美容家」の女性だったそう。「その人はビフィズス菌を含む望ましい腸内細菌が5割以上を占めていました。聞くところによると、その方は一週間のうち4日間は10キロメートルのランニングをして、日々食べ物にも気を使われていました。もちろん外見もとても美しい方でしたが、やはり美しい人は、腸も健康な『腸美人』であることがわかりました」

将来的には、スポーツ選手が自分のコンディションを調べたり、一般の人が健康診断で血圧や血液の状態を調べるときの項目の一つに、「腸内フローラの解析」を取り入れてもらいたいと森田氏は考えている。
「健康の根本を支えている腸内フローラの状態を、一般の人が簡単に知ることができるようになれば、暴飲暴食を自然に控えたり、腸の健康に役立つ食べ物を積極的にとろうという意識が芽生えるはずです。腸内フローラの解析が身近になり、健康や病気の予防に役立ててもらえる未来を、数年で実現したいと思っています」

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森田英利

1991年に米国ミネソタ州立大学でポスドクを経て、1992年に麻布大学獣医学部にて腸内細菌叢(腸内フローラ)の研究に従事。研究論文が共著として『Nature』や『Cell』に掲載されるなど、腸内細菌叢やプロバイオティクスの研究に多大な功績を残している。2015年から、岡山大学大学院環境生命科学研究科教授に就任。