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Life Shift

2016.06.22

臨場感。迫力。 − 大井競馬場とソニーが考える映像技術とスポーツの未来

デジタルサイネージやパブリックビューイング、ドローンやアクションカムなど、映像技術はいま、さまざまな分野で新たな活躍方法を模索している。映像技術は今後どのように進歩し、私たちの生活を変えるだろうか。今回は、今年3月にパドックの大型ディスプレイをリニューアルした大井競馬場開催執務委員長の斉藤弘さん、そしてさまざまなスポーツの分野において映像技術を手がけるソニービジネスソリューション株式会社 メディアソリューション営業2部統括部長の東倉雄三さんから、競馬をはじめとした興業と映像技術の未来を探った。

レース前の馬の状態をファンが確認する場『パドック』。地方競馬の盟主『大井競馬場』は今年3月にパドックに設置される大型ディスプレイ『パドックビジョン』のリニューアルを行った。新しいパドックビジョンは725インチの超大型ハイビジョンディスプレイで、最大視認距離は92mにもなる。このパドックビジョンが有する、もう1つの大きな特長は『マルチカメラコントロールシステム(以下・マルチカムシステム)』で、複数のカメラにより、同一の被写体の映像の同時表示を可能にしたシステムだ。有人で操作するメインカメラのフォーカスに合わせ、4台の無人カメラが自動で追尾し、馬の表情・歩様・おしりの筋肉・アップなどをさまざまな確度から映し出すことが可能となるというものだ。

こういった映像技術は、そもそもどのようにして発展してきたのだろうか。斉藤さんは、開場前のトラックを見つめながらこう語り始めた。

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斉藤:競馬場というものはライブで見ていくことが基本ですので、実際に生のレースを見て楽しむというところから始まっています。そこから、多くの方が入場されてもっと競馬を深く見たい、というようなお客様のニーズが時代と共に徐々に増えてきました。

特に我々は、1986年7月から『トゥインクルレース』(ナイター競馬)をスタートするにあたり、多くのお客様が競馬をより臨場感・ライブ感・迫力をもって表現し、面白く見せるための手法として、同年6月にはじめて、コース内に大型映像装置を導入しました。

また、大井競馬場がはじめて大型映像装置を導入する3年前、今回パドックビジョンを手がけたソニーは世間に大きく印象を残した大型映像装置を手がけている。東倉さんは『当時を知らない方も多いかもしれませんね』と笑いながら同社の大型映像装置の歴史を紐解く。

東倉:当社の大型映像装置の歴史は、1985年に『ジャンボトロン』という2,000インチの映像装置をつくば科学万博で公開したのがはじまりです。当時は、業界でも先駆け的なものでした。万博のときは、大きなテレビのモニュメントを作り、『ジャンボトロン』という名前の通り大きなテレビという位置付けで展示されました。当初はスポーツというよりもイベントで使っていただき、そこから興業をつかさどっている方々に電子映像装置というものをご利用いただくようになったのが我々の取り組みのスタートでした。

またカメラについては、テレビ局にお使いいただく業務用カメラが一番長い歴史を歩んでいます。納入いただいた放送局各社からご指導いただき、テレビが白黒の時代から私どものカメラは進歩し続けてきています。それこそ50年以上前ぐらいからずっと携わってきていますね。それがカラーになり、イメージセンサーもCCDやCMOSなどに発展してきて、いま皆さまにお使いいただいているものにつながっています。

当然、テレビでは野球の中継などといったスポーツがありますし、今回お使いいただいているような競馬の中継、競馬を写し出すということにも、テレビの歴史と同様に長く携わらせていただいております。

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大井競馬場のDNAが呼び寄せたソニーの独自技術

そんな両者が手がけた今回の『パドックビジョン』。前述のとおり、単純なリニューアルではなく『マルチカムシステム』を導入したことがその大きな特長だが、このシステムの導入には大井競馬場が持つ1つのDNAとも呼ぶべき精神があった。

斉藤: 我々大井競馬場には、『大井のDNA』と呼ばれているものがあります。それは『立ち止まってはいけない』というものです。常に動いていなくてはいけない、そういう意味では、今回もただ単にパドックビジョンを更新するというだけで満足してはいけなかった。そこに何か新しいものを取り入れた形を求めていたのです。

過去には、先ほど申し上げた今年30周年の『トゥインクルレース』を始めたことも大井のDNAといえます。この30年の節目に合わせて昨年11月にオープンさせた新スタンド『G-FRONT』もそうですね。G-FRONTには、業界初の工夫をこらしたキャッシュレス投票システムを導入しています。他にも4号スタンドでは、日本初の競馬を観戦しながら本格的な食事を楽しめるレストラン『ダイアモンドターン』をオープンさせました。我々としては競馬界において、常に先進的なものをどんどん取り入れていきたい。それは失敗してもかまわない、というのが大井の精神だと思っております。

この精神のルーツは非常に古い話になるんですが、日本の競馬産業が多少行き詰まった時代に、大井では馬を改良するために日本馬だけではなくオーストラリアの馬を導入したんです。豪サラといわれているんですが、そういうところから始まっているのだと思います。

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そんな大井競馬場に対し提案されたのが、今回の『マルチカムシステム』だ。

東倉:実は今回のパドックビジョンをご提案させていただく前に、メインビジョン(コース内の大型映像装置)の更新をご提案させていただいたんですが、残念ながら我々は失注してしまったんです。そのときに、いま斉藤さんがおっしゃっていた、『新しいものを追い求めている』ということを、我々もひしひしと感じまして。その後に今回のパドックビジョンのお話をいただいたんです。我々からすると、リベンジの場を与えたいただいたわけですから、エンジニアも含めてみんな相当燃えました。

このパドックビジョンでは、営業やシステムエンジニアの人間だけでなく、商品開発部隊である事業部のチームと一緒に取り組みました。そこで新たに生まれたのが、今回ご導入いただいたマルチカムシステムです。ひとつのカメラが焦点を当てると、複数のカメラが自動的にその焦点に合って、目標物を追いかけていくというものなのですが、もともと競馬や競艇といったものにあわせて作ったわけではありませんでした。けれども、お客さまのご要望をうかがった事業部の方から「これが使えるのではないか」という話が出てきて、色々考え、今回の提案の形にまとめていきました。

また、明るさや音に敏感な馬に対して、施工工事などを含めさまざまな配慮が必要でした。例えばディスプレイは、輝度(明るさ)を本来の性能よりもかなり落として使っていただいています。これは、ナイターでお使いいただくというのもありますが、高輝度のものを暗がりで見せると、馬がびっくりしてしまうからです。このあたり、競馬場ならではの要素もかなり考慮しています。

こういった経緯を通し、実際に3月から稼働がはじまったパドックビジョンだが、単純に導入をしておしまいというわけではない。大井競馬場の『立ち止まってはいけない』という精神は導入後も変わらず続いている。

斉藤:実際に導入するまで、我々もソニーさんとともにさまざまな実験検証を繰り返しました。ですから、ある一定のレベルの映像になったとは思っているものの、我々はまだ満足はしていません。このシステムを使って、もっとよりお客さんに対して魅せる映像ができると思っています。実際のお客さんに「映像を見てどうですか」というアンケートを取りながら、さらに工夫を重ねている段階です。これからまた、ソニーさんと勝負になりますけど、あのシステムをさらに高めるために、ソニーさんと一緒にやっていく、というふうに思っています。

東倉:アンケートを見させていただいて感じたのは、「観客の方々の反応は千差万別なんだな」というところでした。人によっては、極端な話「俺が見たいとこは決まっているから、マルチカムシステムなんかいらない」みたいな人もいらっしゃいますし、「これは最高だ」というご評価をいただいたり、「オッズをもう少し見やすくしてほしい」といったご意見もありました。千差万別のご意見に対して、多くの方々にご満足いただくためには、まだまだたくさんご要望聞きながらフレキシブルに変えていかなければならないと感じています。

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更なる臨場感、そして地域と共に歩む興業へ

今回のパドックビジョンに用いたマルチカムシステムは競馬界初のとても先進的な取り組みだ。しかし両氏ともこのパドックビジョンに限らず、更なる新たな取り組みを行っていきたいと考えているという。そこにはまだまだ競馬には多くの魅力があるからだと両氏は語る。

斉藤:このマルチカムシステムは、競馬場に来られてパドックビジョンを見るお客様にとっては、非常に価値があるものだと思っています。ただ、これがある程度完成したときには、やはり外のお客さんにも提供していければと思っています。

実はいま、競馬業界においてはインターネット投票の比率が非常に高くなっています。我々大井競馬場においても、約5〜6割がインターネットのお客さんで、実際に競馬場にきているお客さんは1割くらいです。ですから、インターネットのお客さんに対しても、家にいながら臨場感を持って競馬が提供できればと思っています。その意味で、このマルチカムシステムの映像はさらに活用できるはずです。

もっというならば、やっぱり実際のレースというものをどう見せていくのかが我々の大きな課題になってくると思っています。いまは、同じように4コーナーぐらいからカメラで正面とスタンドを写していますが、例えば、もっと中に入れないか。騎手の目線から見た映像はどうか。走る馬の頭上から追いかける映像はどうか。といった具合に、さまざまな視点からのレースというものを写していければ、さらに臨場感が増していくし、面白さも増していく。そうすると、ただ単に馬券を買うだけではなく、実際のそのレースをお客さんが『体験している』というようなところまでいけるのではないかな、というふうに思っています。

競馬って迫力があって面白い。特にダートは、馬が散らす砂というものが非常にまた美しい。そういうところまで、ソニーさんの技術があればきれいに写せるのではないか。将来的なことになるかもしれませんが、レースを今後どう見せるかをもっとこだわっていければと思っています。

映像をはじめとした表現に関して多くの技術を持つソニー。同社としても競馬だからこそいかせるさまざまな技術があると東倉さんは語る。

東倉:今回導入いただいたのはハイビジョンですけれども、現在では4Kのシステムもご提供させていただいています。インターネットによって、競馬の楽しみ方や、投票者の方々の環境・デバイスも変わってきているので、高画質なものがより手軽にということは今後重要になってくるのではと思っています。やはり臨場感を持って展開するためにも、高画質の映像をご提供していきたいですね。

もうひとつは、映像での輝度情報の記録可能範囲を広げるHDRという技術があります。より人の目に近い映り方というか、目に見えないくらい暗いところから、まぶしいくらいに明るい光源までしっかりと表現できるというものです。大井競馬場ならではのナイターは、撮影のコンディションがとても厳しい。でもその映像の中で、馬の吐く息や、砂けむり、ジョッキーの表情などをファンの方により臨場感をもって見ていただきたい。高画質や、HDRの技術によって、それを実現できればと思っています。

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そして話は興業全体に及ぶ。ソニーは横浜スタジアムをはじめ、多くのスポーツスタジアムなどに映像技術などを提供しているが、そこからは競馬や野球などの興業全体が今後目指すべき姿があるのではないかと考えているという。

東倉:例えば競馬以外のスポーツでも、野球を例にとるとボールパークの構想というのはどこの球団さんでもいま語られてきていますね。場のビジネスをやっていらっしゃる以上、そこには自治体の方だったり、近隣の住人の方、ファンの方々というか、地元の応援というのは確実にあります。興行だけやってればいいという話ではなくて、町に溶け込まなくてはいけないということが大きなテーマとしてあるんです。アメリカなどは、土地も広くスポーツ好きということもあり、そういった感覚が日本よりもすすんでいます。ファンを増やすことであったり、次の世代がその場に足を運んでもらうためにはどうするか、という、同じ悩みを皆さん抱えていらっしゃるので、我々としてそこにソリューションを提供していきたいと思っています。

斉藤:実際にやってる興行自体が沈んでしまえば、インターネットも沈んでしまいますから、やはり競馬場に来て実際に生で見てもらいたい。このにぎやかさを求めていくというのは、我々としても変わらないと思っています。

いろんな意見の人がいるとは思いますが、若いうちに一回でも競馬場に来るという経験がなければ、30代、40代になって、多少余裕ができていろんな遊びをしてみようと思うときに、競馬が選択肢に入ってこないと思うんです。

すると若いうちに一回だけでも、どんな形でもいいから競馬場に足を運んでもらう努力をしなければならない。そこは競馬業界全体として、若い人に対して競馬の面白さを伝えていこうと努力しています。競馬場って、家族連れの方が100円の入場料で1日遊ぶこともできるんです。例えばポニー乗馬スクールみたいなものをやっていたり、さまざまな形で楽しむことはできると思っています。

我々も、いままでは大井競馬場のなかでの仕事であったわけですが、これからは場としてどのように活性化していくのかということを考えていかなければいけないと思っています。地域や23区などと、どういったかたちで我々は関わっていけるのか。そこを上手く見いだすことによって、年間で100日ぐらいの競馬しかやっていないこの大井競馬場が、365日活用される場として、もう一度再生できるんじゃないかと考えています。


東倉 雄三

1968年、和歌山県生まれ。1992年、同志社大学卒業後、同年ソニー株式会社入社。以来、業務用機器の営業に従事。2004年にソニー中国(北京)に赴任、2009年に台湾(台北)へ赴任し、業務用システム部門総経理に就く。2012年10月より現職。公営競技、スポーツスタジアムソリューション、公官庁系の特殊映像システム、金融機関向けシステムソリューション等を担当。各業界における「場」のビジネスの活性化をテーマに ビジネスをドライブしている。 趣味の剣道は、教士七段の腕前


斉藤 弘

1957年4月生まれ。1982年に特別区競馬組合に配属。1986年のトゥインクルレース開幕当時を知る数少ない職員。2015年12月に副管理者に就任。34年間競馬組合一筋で培った知識と経験を活かした改革を行い、就任直後の12月29日に行われた東京大賞典競走で地方競馬最高売得金額を更新する。現在は訪日外国人の誘致や多目的スペースでの大規模イベント実施計画など、従来の競馬業界の常識を超えた様々な取り組みを行っている。


TEXT BY KAZUYUKI KOYAMA
PHOTO BY KAZUYA SASAKA