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Life Shift

2016.05.24

DMM.comを作った男、亀山敬司が語る。「ビジョンを持たないことこそが最大の強みだ」

DMM.comといえばアダルト、ゲーム、DVDレンタル、英会話とオンラインを軸に事業を手掛けるも、そのジャンルに一貫性はない。そして2014年に、ものづくり施設「DMM.make AKIBA」、製造・販売・流通をワンストップで展開する「DMM.make」事業など、リアルの場へと領域を広げ、その勢いは留まることをしらない。その戦略を一手に握っているのは果たして誰なのか。その人物こそ、DMM.comの創業者であり、会長である亀山敬司氏だ。これまでほとんどオモテには出ることはなく、謎のベールに包まれていたが、何やら最近メディアに登場するように。なぜここまで多岐にわたった事業展開が可能なのか、DMM.comの核とは一体何なのか、亀山氏が語ったのは―—。

明確なビジョンも持たないことに商機がある

〝モノを作りたい人が必要とする、全てをご用意しました〟とのキャッチコピーも凜々しいDMM.make AKIBA。秋葉原にDMM.comが2014年11月にオープンさせたハードウェア・スタートアップ支援のモノづくり施設だ。

そこでは大手メーカー研究開発部門でも使用されている機材150点、総額5億円分を自由に使え、シェアオフィスや飲食可能な共用空間も完備。国内はもとより、世界が注目するスペースとして話題に事欠かない。企業のR&D部門勤務でもない限り触れることのなさそうな機材をあり得ないほどリーズナブルに使うことができるハコであることも、そこがいま、志を秘めたクリエイターのホットスポット化していることもわかった。しかしその拠点が、文部科学省や経済産業省といった官の肝入りではなく、DMM.comによるものである点が、どうにも腑に落ちない。ほかに展開するサービスと比較して大きな利益を上げるとは思えないし、メリットが個人に帰結するであろう場を、なぜ一企業が立ち上げたのだろう?

DMM.comが展開するモノづくりのプラットフォーム〝DMM.make〟は、ハードウェア・スタートアップ支援のモノづくり施設の「DMM.make AKIBA」、日本・世界双方向の流通販売を支援する「DMM.make Distribution」、3Dプリンター出力代行サービスである「DMM.make 3Dプリント」から構成され、DMM.make一社で生産から流通までワンストップで世界に展開することが可能だ。ひょっとして〝DMM.make〟は、日本のモノづくりを根底から変える、壮大な革命への第一歩なのでは?とさえ思える。

「いや、いろいろ褒めてくださるみなさんには申し訳ないんですけど、正直行き当たりばったりで出来たものです。いま利益は出ていませんが、そのうち何かが飛び出すんじゃないかと期待しています」 と笑顔で教えてくれたのはDMM.comの創業者、亀山敬司氏。

「たとえばドローンのような、発明が二個、三個とここから出れば面白くなるでしょ。作ることが出来ても売ることが出来なかったら、そこは我々が手伝えますし。その日まではこういったところに投資してくれる投資家は少ないだろうから我々が作ろう、となったんです。だからDMM.makeもそうですが、ほかのサービスでも明確なビジョンや、壮大なプロットを描いて、というわけではありません」

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DMM.comは商売人の集まり

その言動はあまり報じられず、ポートレートの露出も皆無というDMM.com会長の亀山敬司氏。ゆえに名うてのメディア嫌いかと思いきや、それは思い込みに過ぎなかった。近頃メディアに出るようになった理由をたずねると「50歳までは人に人生を語るなんてロクなもんじゃないと思っていました。語るヒマがあったらやれと。まあ結局、喋りたがりのジジイになったってことです(笑)」と終始にこやかで、雄弁にして多弁。問いかけへのレスポンスは速く、迷いや言い淀みがない。

ところでなぜDMM.comが、新しいモノづくりを担うクリエイターを支援するのだろうか。 あまりにも事業内容が多岐にわたっているため、ものづくり=DMM.comというイメージに直結しないと感じるだろう。

「そうですよね。もともとうちは1980年代に加賀市(石川県)のレンタルビデオ店からスタートしていて、その頃はNHKと日経流通新聞(現・日経MJ)ぐらいしか、アンテナとなるものがなかったんです。当時は加賀と東京でも情報伝達にタイムラグがあって、東京でレンタルビデオが爆発的人気でも、加賀ではそんなに知られてない。その時差に商機がありました。東京のさらに先にあるアメリカなんか見なくても良かったんです(笑)。言うなれば地方大名ですよ。でもそこから事業を拡大していくうえで、どんどんアンテナを大きく、高くしなければなりませんでした。DMM.comをひと言でいえば『商売人の集まり』です。二番手でも三番手でも将来性のあるビジネスがあれば、とりあえずその業界にとびこんでいきます。英会話やFXやVRの事業もそう。コンセプトを核に据えることもなく、ただただ生き残るためのビジネスをやっていたら、今のような統一性のない事業展開になっていた、というだけですよ」

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核がないなかでどうやって、どこからビジネスの種を見つけてくるのであろうか?

「そのほとんどは若い社員や外部の人がもってきます。もしくは他社で流行ったものを真似するとかそんなもんです(笑)。3DプリンターもNHKで取り上げられていたから、コレは来そうだぞとやっただけ。ただフリマアプリとかは流行るとは思っていなかったので、チャンスを逃すことだってあります(笑)。『艦これ』だって立ち上げ前の企画書をみたときは、どこがいいのかさっぱりわかりませんでしたから。会長ともなると権力ばかり大きくなっていきますが、最新のトレンドについていけないしビジネスセンスも衰えていきます。新しい動きを生み出すのはいつの時代も若い人たちです。その考えをできるだけ潰さないように、とりあえずお金をわたして、とりあえずやらせてみる。ダメだったらサッサとやめてまた次を探せばいい、それの繰り返しです」

20代のころから今なお続く一人旅に発想の原点があった

〝DMM.make〟など、デジタル技術を活用する業種が目立ちますが、「デジタル」は欠かさざるキーワードなのでしょうか?

「いや、そうとも限らないんじゃないかな。太陽光発電もやってるし、今はマレーシアのパーム油によるバイオマス発電を導入するプロジェクトを進めたりもしています。単に広がりがありそうな事業に注目するだけで、デジタルは結果に過ぎません。決めていることは“詐欺まがいのことはやるな”だけです。そして基本的に不動産やベンチャーキャピタルのような投資ではなく、自分たちの力で育てていけるものだけやるようにしています」

DMM.comのコーポレートサイトを見ると最近、DMM.Africaを立ち上げ、アフリカ進出を宣言しています。これはどういったところに商機を?

「わたしは時々旅に出るんです。これは20代の頃からずっと続けています。まとまった休みをとってバックパッカーとなり、海外を放浪するんです。通訳もつけずにひとりで行き、帰りの航空券だけ買って、後は成り行きです。メディアに顔を出していないのも海外で誘拐されないようにするためだったりします(笑)。で、去年はたまたま夏にアフリカに行ったんですが、そのときにビジネスになるな、と思ったんです。それが向こうから日本に何かを入れるのか、日本から向こうに何かを持っていくのか、はたまた互いに力を合わせて何かを作るのか、まだ皆目わからないのですが(笑)。まあ、まずはアフリカと日本を結ぶような人材を確保しようと考えています」

そういえば、亀山氏はインタビューのテーブルに一人でついた。規模からいえば、秘書室とか広報セクションの担当者が右大臣、左大臣のように居並ぶのが通例だが、その気配すら最初からなかった。纏っているのは権威とは対岸にあるカジュアルさで、足元はいかにも履き心地の良さそうなニューバランスのスニーカーでキメている。

その一人旅はビジネスのリサーチも兼ねているのでしょうか?

「一人旅のときは全然仕事のことを考えません。というか、仕事から離れるために行くようなもので。一人で旅していると、現地の言葉も使えないのでどこに居ても自分と会話するしかない。さびしいだけですよ。修行に近い。でも情報から遮断されると、考えが頭の中をグルグルとよく回るようになります。想像とか妄想も膨らむ。いま日常には情報が多すぎて、その処理に追われて思考しなくなってきています。『これはそもそもどうなのか?』なんて考えません。旅先ではその“そもそも”を考えられるし、むしろそのことばかり考える。ちょっと哲学してしまう。するとここから新しい発想が生まれるんです」

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〝DMM.make〟の新しさは、ロジックよりも実践が先行するスピード感にあるようだ。「たとえばオンラインゲームとかは作り手も販売ルートも確立されていて、投資家もいっぱいいます。だから才能があれば個人のクリエイターでも、十分可能性がある。でも新しい形態の、未来に向けてのモノづくりに関してはまだまだ確立されていない。だから途方もない才能がある人でも埋もれている可能性があります。
我々は何かを創ることは出来ませんが、たとえば先ほどの3Dプリンターのように新しい情報を得たら、大人で商売人の我々がジョイントして、世界に広げるためのお手伝いをしますよと言ってあげられます。そこから少しでも量産されるプロダクトが出てきたら、そこに我々のビジネスチャンスも出てくるでしょう」

昔は世界中を巡り、時にはその場で職を得て旅費を稼ぎ、旅を続けた。さすがに今は現地で就労こそできないが、まだ旅は続けている。そして日本に戻ればスピードを重んじ、アグレッシブに事業を拡張し続けてきた。DMM.make AKIBAは、まだ投資家に出会えていないクリエイターに差した一筋の光明ともいえるだろう。ただし、その光は未来永劫輝き続けるかはわからない。それゆえ場数に鍛えられたタフな旅人が、その舵を握っているうちに訪れるべき駆け込み寺なのかもしれない。

「DMM.comはただの箱です。今後、私が一線を退いても、私の意思を継いで社員に何かしてほしいなんて思っていません。手掛ける事業が全く違うものになってもいい。むしろ私を否定し、常識を疑い、時代にあった仕事を作りだし、みんなで楽しくいきていくためにはどうすればいいのか、それだけ考えればいいんです」

場数の人ともいうべき亀山会長は、言葉を選び重ねつつ終始笑みを絶やさなかった。恐らくDMM.make AKIBAは、ひいては〝DMM.make〟は、その奥行きある笑みから生まれた“そもそも”のひとつなのだろう。


亀山敬司

1961年、石川県加賀市生まれ。株式会社DMM.com 取締役会長。社名にあるDMMは、1999年に立ち上げた株式会社デジタルメディアマート(Digital Media Mart)に由来する。2015年グループ業績連結売上高が1358億円に達する企業の創業会長ながらスーツ着用をやめ、日々会社のある恵比寿まで毎日30分をかけ自転車通勤している。

TEXT BY MASASHI TAKI
PHOYO BY Shuntaro
EDITING BY KEISUKE TAJIRI