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Life Shift

2016.02.24

ヒトがつくる「培養肉」は正義か悪か。SFの世界を現実にする、日本の若き研究者

普段の食卓にのぼる肉が人工的につくられているとしたらあなたは食べたいと思うだろうか。おそらく多くの人はノーと答えるだろう。しかし人工的につくられたその食べ物が動物を殺さず、地球環境を保護し、安全で安価で味もよいとわかったらどうだろうか。そんな食の在り方を根本から変えてしまう、未来の食材「培養肉」を開発するひとりの男がいた。

200gのハンバーグが3,200万円!

東京大学のすぐそばに位置する、雑居ビルの一室を訪れると長身の男性が出迎えてくれた。そこは研究者や企業を志すものがあつまる、招待制のカフェだ。

「子供のころからSFが好きなんです。いつも宇宙船や未来都市をつくることばかり考えていました」。そう語り始めたのは、培養肉を研究・開発する「Shojinmeat Project」代表の羽生雄毅氏だ。

「いきなりSFは無茶なので、オックスフォード大学では基礎的な表面科学の研究を行い、その後は近未来SF的だという理由から、東北大学で蓄電池など環境エネルギーの研究を行いました。その後は東芝研究開発センターに勤めましたが、大企業では自分のやりたいことができるようになるには10年、15年かかるため、そこまで待っていられないなということで会社を辞めました」

羽生氏は1年前から、知り合いの紹介でこのカフェに出入りするようになり、現在の共同創業者と出会うことになる。
「臓器培養を専門にする共同創業者と出会ったのが培養肉開発の始まりです。培養肉というワードはSFでは定番です。ですので、当初は培養肉をつくりたいというより、無限の可能性を秘めた、自分の好きなSFの世界を実現したいという思いでしたね。最後にSFそのひとつがたまたま培養肉だったいうわけです」

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意外にも培養肉には長い歴史がある。1931年にイギリスの政治家、ウィンストン・チャーチルが「50年後は肉を栽培している」と発言して以来、研究者よる培養肉の開発ブームが数十年おきに起きていた。しかしどれも出てきては頓挫してしまう。その主な原因は開発費だ。2013年にオランダの研究者、マルク・ポスト氏が200gの培養肉を作成。ハンバークほどの大きさで、なんと25万ユーロ(3,200万円!)の開発費がかったといわれている。そのため、次第に研究費が続かなくなり、開発がストップするという歴史を繰り返してきた。

「培養肉をつくることを目的にすると私たちも同じ道をたどるでしょう。しかし私たちが目指しているのは、培養肉開発そのものではなく、培養肉を始めとした、培養素材を低コストで大量生産するためのインフラづくりです。


注目したのは「培養液」

培養肉の作り方は大まかにこうだ。牛から取り出した筋肉幹細胞を培養液の入ったバイオリアクター(細胞培養装置)に入れて細胞を増やし、肉の塊へと成長させていく。開発費がかさむ原因のひとつが培養液だ。200gの肉を培養するのに必要な培養液は、従来のものでは600万円と桁違いに高額であった。そこに注目した羽生氏は培養液の成分を見なおし、1/10にまで削減することに成功したのだ。将来的にはさらに1/100、つまり500ml、6,000円程度にまで抑えることができるという。なぜそんなことが可能かというと、これまでの培養液は、細胞を高度な精度で培養させるためのもので、培養肉の開発においてはオーバースペックであった。そこで、培養肉に適した成分にだけ絞り込むことで低価格を実現させたのだ。

「ただし、あまりにも精度が低すぎると今度は食用としても使えないものになってしまうので、一定のクオリティは担保するように細かい調整を行っています」

もうひとつコスト高だといわれているところは、培養にかかる人的コストだ。これまでの培養肉の開発は、培養液の入ったペトリ皿にピペットを使って人間の手でひとつひとつ筋肉幹細胞を注入していき、層を重ねていく方法だ。1層でおよそ100ミクロン程度、塊にするためにどれほどの時間と労力がかかるのか想像に難くない。そこで羽生氏は、三次元的に培養していくことで、これまでよりも数十倍ものスピードで実現できる臓器培養装置の開発を、臓器培養を専門とする共同創業者とともに行っている。しかし、どのようにして塊の中心部分にまで酸素や栄養を行き渡らせるのか、といった課題も残っている。

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ここで気になるのは培養肉の味と安全性だ。「現時点では極少量しかつくっていないため、味わうほどのものではありませんし、仮に塊にしても何の味もしません。繊維質もないため食感もパサパサとしたものです。安全性に関してはただの筋肉細胞の集合体なので身体に影響はありません」と羽生。味を出すためには旨味となる脂肪細胞も一緒に培養していく必要があるのだという。「数千万円かければ流通している肉の味に近いものをつくることができますが、これまでの歴史が語ってきたように現時点ではあまり意味はありません。まず低コストで培養肉を生産できる素地をつくってから、味や食感などのクオリティを追求していかなければ立ち行かなくなってしまいます。いま培養肉を作る資金があるなら、インフラ開発に投資しますね」。

まだ培養肉の開発は途上で、一般化するにはもう少し時間がかかるが、そう遠い未来の話でもないと羽生氏は話す。さらに培養技術は肉以外の細胞にも応用が可能だ。培養のインフラが完成したら、次はフォアグラなどの重量単価の高いものをつくり、その後はベジタリアン向けの食品、そして最後にスーパーマーケットに並ぶ一般食品へとシフトしていく予定だ。

「技術的には10年以内に実現できるでしょう。しかし培養肉の開発だけに注力していては世の中に浸透していきません。必要なのは培養肉の存在と、その論点を社会に認知させていくことです。なぜなら培養肉が現実のものとなるとわかったら多くの人は拒否反応を示すでしょう。そこを解決しないかぎり社会に受け入れられることはないでしょう」


培養肉の価値は議論の上に成立する

実際にこんな話がある。羽生氏がスピーチをする前に聴衆に培養肉を食べたいかとたずねたところ、ほとんどの人が「いいえ」と答えた。その理由は「命をいただくという文化で育ったから」「食物連鎖の枠から外れた食べ物はいかがなものか」といった具合だ。イギリスのあるメディアでも同様の質問を投げかけたところ、およそ8割の人たちが「食べたくない」「よくわからない」という回答に。しかし、培養肉が環境によいとわかったら? と聞くと、なんと約4割の人が「歓迎する」と答えたのだ。

家畜を育てることが環境破壊につながるといわれている。牧草地を確保するための森林破壊、動物が吐き出すメタンガスによる温室効果、育成のための大量取水など、地球に多くの負荷を与えているのだ。また、人々は家畜が殺されている現実を頭の片隅で知りながら意図的に「無いもの」として無視している側面もある。つまり、人間が一定の幸福を享受するためには、多少の環境破壊と多少の屠殺はやむを得ないのか、と問う以前に、この問いそのものを拒否しているということだ。これを「アグレッシブ・イグノランス(積極的逃避)」だと羽生氏は指摘する。

「培養肉があれば動物を殺す必要もなければ、環境への影響も限りなく小さいものになります。それこそ月や火星に人間が住むようになれば、その全てが培養肉に取って代わるでしょう。何もないところにわざわざ牧草地をつくって牛を放つなんて効率が悪すぎますからね。個人的には牛の背後に広がる宇宙の風景は見てみたいですが(笑)」

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環境に優しいとはいえ、それでも尚、全ての人に受け入れられるかというとそうではない。ベジタリアン、ビーガン、ハラルなど個人的な価値観や宗教的な信仰によるものなど、食に対する多様な価値観も同時にクリアにしていかなければならない。また、生態系への影響の有無についても、専門家や研究者の知見が求められてくる。これから必要なのは、培養肉の存在を認知させると同時に、単純なイエス・ノーではなく、さまざまな価値基準をもとに議論していく必要があると羽生氏は語る。

「主に欧米ではリベラル派の意見が表に立つことが多いので、まずは理念先行で議論が始まります。しかしその観点で解決の糸口を見つけるのは容易ではないでしょう。一方で日本はというと、理念よりも食糧安全保障や食の安全などの「現実」に対する関心が高いので、そこを切り口とすることで比較的受け入れられやすいと考えています。ソートリーダシップはいまのところ欧米にあります。そんななかでアジアの声として、日本が「現実」をテーマにメッセージを発信していくことに重要な意味をもちます」


自宅から「バイオ」が生まれる時代に

思想レイヤーで議論が起きるベンチャーこそがこの世の中を変えていくんです。グーグルが代表的な例で、最近では『Uber』や『Airbnb』などのサービスもそうです。これまでなかった新たな概念を提案することで、議論が起こりイノベーションが生まれるのです。培養肉も同じようにこれから新たな概念を生み出すと考えています。そして最終的には受け入れられることを期待したいですね」

これまで世界にインパクトを与えてきたサービスの多くは欧米が中心だ。その状況を見てようやく日本の若者も行動を起こしつつあるという。

「まわりの優秀な若者や学生は気づき始めています。少子化による逆ピラミッドの社会なかで大企業に入って出世することがどれだけ割の悪いことかと。能力がある人たちは若いうちに自分で起業する道を選んでいます。起業を目指す学生や研究者があつまるこのラボカフェもそうですね。これからは自分たちが活躍できる場を自分たちでつくる社会になっていくでしょう

羽生氏のような、ごく小規模で行うバイオ研究・開発を「バイオハッキング」や「DIYバイオ」と呼ぶ。これまでは高価な機材をもった研究所でしかできなかったことが自宅レベルでできる時代に変化してきているのだ。実際に羽生氏も格安の培養液をつくったのは自宅だったという。

「今後はさらに増えていくでしょう。SF的なものが世界中の自宅で実現できてしまいます。どれも今は小粒なものばかりですが、それが大粒なものになったら、いよいよ誰も想像できない世界が待っているでしょう」

羽生氏は培養肉にとどまらず、バイオ製造業の研究も視野に入れる。培養肉の技術は横展開しやすい分野で、再生医療などの医学に応用ができるのだという。「機械やモノは生産ラインにのって産業用ロボットがつくっていますが、心臓や指といった人間の臓器もオートメーション化されてつくられる未来があってもいいですよね。今やっていることを着実に実現していけば、夢のような話ではないと考えています」。

最後に羽生氏の目指す終着地点はどこにあるかたずねた。
「どんなに想像を重ねてもSFに終わりはありません。SFは無限遠点の世界だからこそ惹かれるんです。いつか宇宙船をつくることができたとしても、また次につくりたいものが出てくるでしょうね」

羽生雄毅

1985年生まれ。栄光学園中学2年のとき、パキスタンのイスラマバード・インターナショナルスクールへ転校。高校2年修了で 2002年よりオックスフォード大学セイント・キャサリンズカレッジへ入学。無機化学専攻。2006年からは博士課程に進学、2010年博士号取得。在学中は科学ソサエティーの会長や、アジア太平洋ソサエティーの委員などを務める。博士課程修了後はモスクワ国立大学への短期留学、東北大学、東芝研究開発センターを経て、2015年にインテグリカルチャー(株)を設立、現職に至る。1月21日に著書『OTAKUエリート 2020年にはアキバカルチャーが世界のビジネス常識になる』(講談社+α)が発売。


PHOTO BY MOEKO ABE
TEXT & EDITING BY KEISUKE TAJIRI