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Life Shift

2015.12.21

世界へ躍進する山口の日本酒、 「獺祭」づくりにかけるその情熱とは

「若者の日本酒離れ」が喧伝されるなか、国内はもとより海外でもその認知と販売を飛躍的に伸ばし続けている酒造がある。最高級の純米大吟醸酒のみの扱いという、個性あるスタイルでも知られる山口県岩国の旭酒造を訪ね、独自の製法から生み出される「獺祭(だっさい)」ブランドの強さの秘密を探った。

山口県の地酒銘柄から世界に冠たる銘酒蔵へ

山口県岩国市からレンタカーで30分以上走らせた山間の地に、「獺祭」の酒蔵は突如として、予想外にもそのモダンな姿を現した。のどかな緑の景色や隣接する瓦屋根の蔵と不思議なコントラストを見せる、ガラスとメタルの高層ビル。景色を映し込むことで景色に溶け込む、この地下1階/地上12階建ての建築こそが、旭酒造新社屋であった。

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「初めは歌舞伎座のように、瓦屋根を載せた伝統的な外観も検討はしたのですが、どうしてもニセモノになってしまうのが嫌で。建物は景観の一部ですから、ヘンなこだわりは捨てて、現代のセンスで美しいデザインを追求しました」

そう語るのは、旭酒造三代目の桜井博志社長。1984年、先代の死に際して酒蔵を継承し、当時1億円に満たなかった売上高を30年間かけて46億円(2014年9月期)にまで伸ばしたことでも脚光を浴びた、日本酒界の寵児である。

桜井氏の功績は、それまでの業界の慣習にパラダイムシフトをもたらすと同時に、自社の歴史には前述の記録を刻んだ。かいつまんで説明すると、「獺祭」はまず、純米大吟醸酒という高付加価値商品のみに特化した商品ラインナップを、市場性の高い東京に注力して販売するという独自の戦略に基づいた布陣を敷き、アドバンテージを獲得した。そもそも杜氏という匠の専門家集団のもとに酒を仕込んできた伝統的な体制を捨て、あらゆるノウハウをデータ化および可視化し、社員中心の酒造りに変えた。また酒蔵自らが東京・京橋に直営店「獺祭Bar 23」を開店。ここでも自ら飲食業という新たな市場を開拓すると同時に、ブランディングの足掛かりを得る。さらに、今や取引先20か国以上となる積極的な海外市場進出にも成功を収め、昨年にはフランス・パリに店舗設計を建築家の隈研吾氏が、料理を「青柳」の小山裕久氏が手掛けた直営店をオープンさせるなど、まさに順風満帆の快進撃を続ける。

この日、我々はそうした掟破りの戦略を切り拓いてきた桜井氏の発想の源を探ると同時に、根底となる「獺祭」自体の美味しさの秘密と生産体制を知るべく、2015年春に竣工したばかりの新社屋を訪ねたというわけだ。

災い転じて福となす――神事であった酒造りに、科学と経済の考え方で革命を起こす

取材はまず、工場見学からスタートした。手渡された白衣と帽子を着用し、手や靴底の消毒、エアーシャワーなどの衛生チェックを経て、ようやく蔵の中へ。約180人が働く12階建ての建物を、上から順番に案内してもらう。

先に明かしておくが、旭酒造の成功は、他でもない「失敗という名の母」から生まれたものであった。社長就任から間もないころ、桜井社長は通常、冬季のみの稼働であった蔵を夏にも稼働させるべく、新規事業としての地ビール生産に投資を行う。しかしそれが1億9千万円もの損失を出す結果となり、酒造りに不可欠な存在であった杜氏に愛想を尽かされたのだ。そこで意を決したのが、杜氏に頼らない社員中心の酒造りであり、現在の成功の原型であった。

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「私たちは、それまで杜氏たちが経験と勘によってのみ、半ば秘密裡に管理していた各工程における望ましい仕上がりの状態をすべて科学的に分析して、徹底的に数値化しました。メディアからは、よく『伝統分野におけるテクノロジーの導入例』といった書かれ方をされましたが、実際には醸造のあらゆる過程を、温度や重量など誰が見ても明確に分かる数値指標を用いて、より正確に管理・把握できるようにしただけのことです。実際には米も酵母も生き物ですから、基準の数値と若干の誤差が生じてくる。それに合わせて、次の行程をどう調整して、また望ましい仕上がりに導いていくかは、他でもない現場の人間の判断になるのです。発酵の様子を見ながら発酵タンクをかき混ぜたり、温度を調整したり、あるいは麹室の通気を調整したり、乾きのムラを確かめて混ぜ合わせるといった作業はすべて、現場担当者たちの手作業に委ねています」

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旭酒造ではそうしたすべての行程を、リアルタイムに情報をあつめながら、完全分業制のもとに管理している。

「うちの社員は平均年齢が20代と若いんです。にもかかわらず、常に5度に管理された発酵室をはじめ、酒の仕込みが行われてきた冬場と同じ環境を年中実現しているので、毎日同じペースで酒造りに取り組めるのが強みとなっています。しかも米を洗う、麹を育てるといった行程ごとの専任制度にしているので、各人の技術の習熟も早い。だからこの新しい蔵では、日本酒の最高峰と言われる純米大吟醸酒を、年間150万本も量産することができるのです」

蔵の見学に話を戻そう。最初のプロセスは、米を精米し、水分を吸わせる行程。ここでは一度に15kgずつ、1日延べ5トンの米を処理する。普通酒の精米は10時間ほどで終了するが、あらゆる雑味を排除するために歩留まり23%精白米にこだわる純米大吟醸酒「獺祭磨き二割三分」の場合、丸7日間、つまり168時間もの精米時間を要する。この気の遠くなるような時間をかけて精米された米は、1時間に1.5トンの処理能力をもつ蒸し器にかけられる。ベルトコンベアを湯気を立てて流れる様は、まさに真白き米の川といった風。フロアいっぱいに、炊いたごはんを思わせる馥郁たる香りが漂う。

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下の階は、1フロア当たり100本もの醸造タンクが整然と並ぶ発酵室。5日間かけてタンクを満たす三段仕込みで、およそ30〜35日間発酵させる。ここでも徹底しているのが品質管理。毎朝サンプルを取り、別フロアに設けられた研究室で検査を行う。白衣の女性たちが試験管を覗く様子は、酒造というより製薬会社といった方が、イメージが近い。

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「すべての酒を毎日検査するのは、うちくらいじゃないでしょうか。勘だけに頼らない酒造りを目指してきたので、状態を客観視できるように、あえて製造部門とは違う検査専門の人間に検査させています。比重、アミノ酸などあらゆる項目で蓄積データと照らし合わせているので、問題があればすぐに顕現化します」

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情報管理は原料確保に至るまで応用されていた

桜井社長の慧眼は、こうしたノウハウを原料となる酒米「山田錦」の安定調達にも応用し始めていることだ。富士通のICT(情報通信技術)を活用し、提携農家の水田を定点観測カメラによって自動管理。栽培の難しさや国の生産調整の影響から確保が難しくなっている「山田錦」の安定した増産に繋げ、さらには新たな栽培農家参入の支援を目指している。

「昨年6万俵だった仕入れが、今年は10万俵を超える見込みです。米が足りないから酒が造れないでは、ビジネス機会の損失でもあり、また楽しみに待っていてくれているファンに対しての裏切りにもなってしまいます。私はこれまでよくあった、酒を『幻』化させることには反対で、問題があるなら解決策を考えるだけです。困ったときには視点を変えてみると、必ずそこにチャンスが見えてくるものなんです」

夢は世界中の喜んでくれる人に「獺祭」を届けること

そもそも家業を継承する以前、すでに自らが創業した石材卸業の会社を切り盛りしていたという桜井氏は、酒造業においてはいい意味でのフレッシャーであり、アウトサイダーであった。「困ったときは、視点を変えればチャンスが見出せるはず」——自らにそう言い聞かせながら、あらゆる書物をむさぼり読んだ。具体的なノウハウを与えてくれる醸造業界誌は、「どの号のどのページにどの記事が書いてあったかを即座に言い当てられるほど」読み込んでいた。また自らの経営哲学においては、堺屋太一、大前研一、山本七平、野中郁次郎等の著書から少なからぬ影響を受けたという。

「日本酒離れ、洋酒の襲来といった世の中で言われていた日本酒不振の原因が、実はそのままそうではなく、やり方次第ではむしろチャンスに満ちていると信じる自分がいました。問題のある業界だからこそ、問題を解決すれば勝てる。海外進出もその一環。日本酒だからといって、市場は日本だけではないのです」

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この11月には、ニューヨークで「獺祭の会」を開催。研修を兼ねて、若手社員たちを伴って渡米した。参加費90ドルという、決して安くはない利き酒の会に、定員150人を超える応募が集まったという。

「社員共々、ニューヨークの人たちがどんな風に評価してくれるかを生で見聞することは、大いに勉強になりましたし、刺激になりましたね。アメリカ市場における確かな手応えを感じました」

今に力を入れているのはアメリカとヨーロッパ市場。中国市場はここ3年間で、ほとんどこれといった手をかけることなく、欧米市場の7割に迫る規模まで成長してきたという。

「やはり、どうせならワイン文化のある欧米の主戦場で勝負したいわけですよ。これまでワインでは安いとされる2,000円台の値を付けても、日本酒では高いと言われてきました。その価値観を変えるために、日々もっと美味しい特別なお酒を提供できるようにひたすら精進してきているのですから。今最も共感してくれているのが、国籍を問わず、成功したビジネスパーソンたちです。もともと私たちのお酒は、100人いたら100人買うお酒じゃありません。逆に、シンパシーを感じてくれる人がいたら、それが世界のどこの国であろうと届けてあげたいんです」

「獺祭」をして「獺祭」たらしめる最大の要素、それは造り手の情熱に他ならなかった。

桜井博志

旭酒造株式会社代表取締役社長。1950年、山口県生まれ。73年に松山商科大学(現・松山大学)を卒業後、西宮酒造(現・日本盛)での修業を経て76年に旭酒造に入社。先代である父と対立して退社したのち、石材卸業を設立する。84年の父の急逝を受けて三代目当主として家業を継ぎ、純米大吟醸のみを製造する酒蔵として他に見ない手法で酒造りに挑む。後に日本中で「獺祭」ブームを巻き起こし、今では世界20カ国以上に展開され、世界的なブランドとなりつつある。

PHOTOGRAPH BY TSUYOSHI MIYAMOTO
TEXT BY SHIGEKAZU OHNO (lefthands.)
EDITING BY KEISUKE TAJIRI