Life Shift

2017.01.10

パラリンピックの閉会式に立ったひとりの義足ダンサー。“妥協”の選択がブレイクスルーになる

見事なまでの演出で世界中から賞賛を浴びたリオ五輪の閉会式。そのパラリンピックの閉会式において、ダイナミックなパフォーマンスで観客を魅了したのは、光る義足をつけたダンサー、大前光市氏。彼は不慮の事故で片足を失い、一度は絶望の淵に立たされることに。長く暗い道を歩んできた彼が幾つもの壁を乗り越え、パラリンピックの舞台で再び脚光を浴びることができた背景には、不本意ともいうべきの、諦めと妥協があった。

ダンサーの生命線である足を失い、閉ざされたかに見えた未来


—事故にあい、片足を失われることになりますが、その厳しい現実を突きつけられたときの心境はどのようなものでしたでしょうか

大阪芸術大学に入って、ダンスを学びながら舞台にも立ち始め、ようやくプロのダンサーとして一歩を踏み出すというところで車に轢かれました。事故が起きたときは混乱と痛みで状況が理解できませんでした。叫んだのは覚えています。すぐ病院に運ばれて、医者に言われたのが「早く足を切ったほうがいい、でないともっと切らなくてはいけなくなる」という絶望の言葉でした。

そのときはダンスのことよりもまずは生きなければいけないという思いが先に立ち、翌朝には手術して足を切断することになりました。そのときはまだ、足を失った実感はなかったですね。

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—そこからだんだんと現実味を帯びてくることになると

最初の一ヶ月は髪の毛が抜け落ちるほどの痛みと睡眠不足のストレスで気が狂いそうでした。しばらくは事故のことが夢に出てくるんです。目覚めてあれは夢だったんじゃないかと、ベッドから出ようとすると転ぶんです。そこで改めて気付かされる。「ああ、やっぱりこれは現実だ」と、長いあいだ現実として受け入れることができませんでした。ですがダンスはどんな形であれやれるだろうなと漠然と思っていて。退院後、義足で歩けるようになっていざレッスンを受けてみたら愕然としました。事故が起こる前は目をつむってもできたことがまったくできないんです。足を失うとはこういうことなのかと、ここで初めて挫折を経験しました。

—そこからダンサーとして表舞台に立てるようになるまでにどんなことをされたのでしょうか

まず始めたのが義足の改良です。アスリート用の義足の技術はかなり発展していて、ダンサーも同じようなものだと思われるかもしれませんが、ダンサー用の義足なんてほとんどないんです。あったとしても、つま先がまがるようになっているくらいで、実用的とはいえず不便で仕方なかった。そこで考えたのが義足のつま先部分を切ることでした。

すると断面を立てることでつま先立ちと同じ状況を作り出せるようになりました。ですが、最初は義足屋さんが引き受けてくれず苦労しました。今までやったことないことだから、問題が起こる可能性を恐れるんです。それでは困ると。契約書を書いて責任はこちらで取るからやってくれと、毎回契約書を書きながら少しずつ改良を重ねていきました。

—足を失ったこと、義足でうまく踊れないこと、思い通りに義足を作れないことなど、多くの障壁が立ちはだかってきましたが、それでもダンサーの道を諦めなかったその思いはどこにあったのでしょうか

自分にはダンスしかなかったんです。だからダンスへの熱は冷めることはありませんでしたね。辞めることよりも、義足さえ改良できれば前と同じように復帰できるんじゃないかと、もとに戻れるんじゃないかと思っていました。

生活するためにもお金が必要だったのでアルバイトをしていたんですが、当時は知識もなく、街にあるアルバイト誌に載っていた肉体労働ばかりしていました。やはり身体を酷使するので足が痛んできて、義足をはきたくない、仕事にいきたくない、でもダンサーとして復帰したい、という葛藤と日々戦っていました。その生活が10年続きましたね。

片足がないことはネガティブではない、個性として活かせるチャンスだった

—10年…! その長いブランクがあって、どんなきっかけでダンサーとして復帰したのでしょうか

あまりにも足が痛かったので、ためしに義足をはずして踊ってみたんです。そうしたら仲間が「その動きのほうがいいね」と。驚いたと同時に目からウロコが落ちました。当時の僕は健常な他のダンサーと同じように動こうとばかり思っていたんです。そうして前の劇団に戻るぞと、そのためには昔のように動ける両足が必要なんだと。だから義足を外して踊ることがいい評価につながるとい全く思ってなかったんです。

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—そこから義足をはずして活動するようになったのでしょうか

かといってすぐに受け入れられかというと、そうではありません。義足をはずして踊るということは障害者としてカテゴライズされ、普通の人以下の能力しかないんだと思われると感じていました。でも俺は違う、バカにするな、というプライドがあったんです。そんなことを思っていたときに、舞踊家の佐藤典子さんと出会い、ある言葉をかけられたことでこの片足のない人生を受け入れられるようになりました。

「人間は生まれながらに定められた台本を持つ。それは変えられない。だからこそ、その台本を自分らしく演じきりなさい」

この言葉もあって、片足がないことは他のダンサーにはない新しい表現をできる可能性があるなと気づけました。個性を持てないことで悩んでいる人たちからしたらむしろアドバンテージがあると、マインドチェンジさせていったことで、自分らしさを見つけることができましたね。

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舞台の演出に合わせて使い分ける“武器”たち

—これまでマイナスでしかなかったことを、個性として活かせる武器であると考え方を変えられたと。それが9月のリオ五輪の閉会式出演へとつながっていくんですね。

そうですね。リオ五輪の開会式・閉会式を手がけた広告代理店から突然連絡があり、これはおもしろそうだぞ、ということで引き受けさせていただきました。それが本番の2ヶ月前で、そこから一気に詰めていきました。

—たった2ヶ月であの形に持っていったんですね。そのスピート感でトラブルなどなかったのでしょうか。

全然時間はありませんでした。国内リハーサルが5回、リオでのリハーサルが5回の合計10回です。これまでにない大舞台だったこともあり、開幕まで短い時間でしたがそれまで1回しかできなかったバク転を連続でできるように必死に特訓しました。演出もすばらしく、最高のパフォーマンスができたと思います。

—光る義足が印象的でしたが、どのように作られたのでしょうか

演出を手がけたライゾマティクスの方に義足を預からせて欲しいと言われ、出来あがったのがあの光る義足です。演出に合わせてLEDが光るようになっていて、今までとは違ったおもしろい見せ方になりましたね。

—閉会式に踊ってみて、いかがでしたか?

いままでやってきたところとは比べ物にならないくらい広い場所で、当日はリハーサルなしのいきなりでの本番。舞台にあがっても客席の人たちは見えないんですが、地響きのような歓声ですごい数の人がいるのはわかる。あまりの規模の大きさに不安もありましたが、時間通りにすべてが進むので、もうやるしかないと。普段のホールではお客さんは行儀よく座っていて、途中で歓声を浴びることはないんですが、リオではリアルタイムに反応が返ってくるので刺激的でしたね。

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パラリンピックの閉会式で使用した光る義足の元となったもの

“逃げ”だとしても、変わることが次へとつながる

—パラリンピックが終わって数ヶ月経ちましたが、周りに変化はありましたか

障害者パフォーマーの存在がちゃんと認知されたことですね。前は他のダンサーはちゃんとお金をもらえているのに、義足をつけた僕は車代ぐらいしからえなかったこともありました。その時から考えてみると、認めてくれる人も増えてきてうれしいことです。

リオでの経験も活かして今後は世界のコンクールにも出ていこうと考えていますが、僕が活躍できる場所は古典的なダンスの世界ではないと思っています。というのも、ダンスには専門家が中心の、両足がちゃんとある人たちで成りたつ伝統的な世界もあります。そこで認められるのは非常に厳しい。一方僕は、一般のお客さんに向けてパフォーマンスをすると、今までにない表現で好意的な反応を示してくれます。伝統を受け継ぎ専門家のために踊ることよりも、今の自分にはクリエイターとして新しいものを生み出すことのほうが性にあっているなと。

—自分の置かれた状況やスキル、求められていることを客観的に判断して、スタイルをシフトチェンジできたことがうまくいったんですね

プロフェッショナルとは、誰に対してのプロフェッショナルなのかが重要だと思います。そこを見誤ってしまうと不毛な結果に終わってしまう。いま自分が持っているものは何なのか、それが誰の心に刺さるのか冷静に判断できたからこそ、いまのダンサーとしての姿があると思っています。

自分だけの変化じゃなくて、周りにいた仲間たちの存在も大きい。生物が環境に応じて進化していくように、僕もどんな手を使ってでも生きなければ終わってしまうと考えた結果です。そのときは不本意でしたが、義足を外すことや、踊りの方向性を変えることを選択した。足を失う前に戻りたいと思ったこともありましたが、現実を受け入れて片足で魅せることが僕に残された可能性だと気づけました。

変化することを恐れなかった、というとかっこいい言い方に聞こえるかもしれませんが、僕からすると妥協です。でも、そのかっこ悪い妥協も結果としていい方向に進むことができました。これはダンサーに限らずどの職業でも言えることかもしれません。仕事や生き方で悩んでいることがあれば、一度プライドや意地を捨てて、妥協することで見えてくる可能性があると思いますね。

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大前 光市

1979年生まれ、岐阜県出身。大阪芸術大学でクラシックバレエを学び、本格的なコンテンポラリーのテクニックや、振付のメソッドも習得し、在学中から注目を集める。23歳のとき、交通事故により左膝下を切断。片足でも踊り続けるために、ヨガや武道、新体操など幅広いジャンルの動きを学ぶ。2008年、実験的アーティスト集団Alphact(アルファクト)に参加。作品に合わせて義足を使いわけることで、世界にふたつとないダンススタイルを築く。2010年、全日本洋舞協会合同公演・なにわ芸術祭では、舞踊作家部門新人賞および大阪府知事賞を受賞。近年は、タリンやプラハなど、伝統ある海外の舞台にゲストダンサーとして招かれるなど、活動の幅を広げている。


PHOTOGRAPH BY ISAMU ITO
TEXT & EDITING BY KEISUKE TAJIRI

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